人体実験 -本- [ライト関連]
とりあえず、「破」ではないっス(--ゞ
さて、
まずは、
パッと見せられても、なんじゃこら?(--)かと思われますが、
とりあえず、こんな表が3枚あります。
あんま、こう、出来るだけ複雑なものにならないように考えたつもりではありつつも(^^;
この表は、
というmonozofさんの改造品の懐中電灯を使用した時のケースで、
上から順番に
「近接」(約0.1~0.5m程度)
「近距離」(約0.5~5m程度)
「中距離」(約5~20m程度)
という、とても大まかな区切りにした距離に於いて、
こんなカンジの『イ、ロ、ハ、ニ』という照射範囲を、
明るさ感
1:暗い
2:やや暗い
3:普通
4:明るい
5:眩しい
及び
見やすさ感
A:見やすい
B:普通
C:見難い
例えば、「明るくて見やすい」という評価だと「4A」みたいな。そういう極めて感覚的な評価基準で「評価」したもの。
この評価方法は、mozof 閣下のご考案であります(^^ゞ
んで、
『時間的状況等』として、『暗転即』と『体感上「しばらく」してから』という、これまたざっくりとした体感時間に分け、
『認識(「ある」と判るカンジ)』『深視』『色彩』という三項目の、
それぞれ『平面』『立体』『動体』に対して照射した場合の「主観的体感」を表したものです。
さらに、
TE-mini2には、
『Blast』
『STD』
『SPL』
という、ストロボ照射は除外とし、照度に於いて三つのモードがあるので、
それをそれぞれに評価しつつ、
『総合的な印象』は、総合的な印象として、上記三つのモードの評価を参照せず別途「感覚的」に評価してあります。
故に、あるいは照度とか色度とか座標とか、そういう「正確な数値」的なデータを並列とすれば、とても整合性を欠いた「評価」となっている可能性が高く、参照値的な扱いをするには不適かも知れない。
しかし、「川端」というユーザーの「主観」に於いては間違いなく「真」であるという、まあ、なんか、こう、びっみょーなデータ?なんですね(^^;
この表が、私がmonozofさんに提出させて頂いたレポートの「データ」
「何も考えずに三ヶ月使ってみてね」
てなこって、monozofさんからのTE-mini2がリオさん経由で私の手元に届いたのが11月9日。
のんべんだら~っとセカンドEDCとさせて頂き携帯し始めたのが11月11日。
んで、
上の「データ」を送らせて頂いたのが12月の11日になります。
TE-mini2は、まあ、パッと見何の変哲もないというか、
素直に、筐体も操作も、あと恐らくコンバータもイマイチ。
一瞬で目を奪うような明るさも無ければ、Sundropみたいな、ある意味特異な色でも無く。照射パターンも綺麗とは言い難い。
しかし、
TE(たぶんTriple Eyes?)ってーくらいのモンで、コリ三つ目という、実は変わったライトであり、
思ってたより飛ぶ。思ってたより色も良い。思ってたより深視(大雑把には距離感)も良い。
ぶっちゃけ中距離より遠くなるとほぼ役に立ちませんが、モードさえ使い慣れれば、近接良し、中距離良し。
あと、『ニ』の照射範囲の外に、
こう、昔の新造人間キャシャーンってーアニメに出てくるルナってーキャラの持ってた光線中であって、それでアンドロ軍団ってー敵のツメロボなんか破壊するときに出来る爆発前の光輪が爆ぜる瞬間というか、ミニマグに装備するオパレックみたいな光の輪が複雑化したようなというか、、、
三方向にクリスタルの結晶が重なったみたいな「漏光」が出来るんですね。
この「漏光」が故に、照射範囲の外から侵入する「動くもの」に強い。
イマんトコ、そんなカンジですm(_ _)m
さてさて、
「そういう人種」が「そういう人種」を見分けることは「経験」による。
それは、根本的に言葉の意味が変わりますと言い訳せねばなりませんが、言い換えるならば「学習」
「有利そうなので真似をしてみよう」的な意味に於いて、
あるいは「どういうことなのか知りたい」という意味に於いて、
「能動的な経験」
によるものであり、
その為に「そういう人種」は、その時「誰か」の見ているのであろう光景をも予想する能力を得て、
やがて同様の視覚世界を体験せぬ者から見れば「特殊な感覚」ですらあるような世界を「見る」に至る。
そして、
「視力」とは「臨界期」に於ける「経験」。とりわけ「自ら望んで見る」という
「能動的な経験」
によって開発され発達を促され「正常とされる視覚としての生体システム」となるものである。
のだとするならば、
「能動的な経験」が、ヒトを環境に適応させようと「機能」を発達させ、
更なる「能動的な経験」が、「特殊な感覚」の世界へさえひとを誘う。
のであるのなら、
仮に、あくまでも仮に、でありますが、
それは、あたかも受動記憶が残り難いように、能動記憶が自然と残るように、
ヒトは、生まれながらに「自ら望んだ情報」から「自らの在るべき環境」を知り、
更に「自ら望んだ情報」によって「自らの在りたい姿」を模索するのだということになるのではないか?
そうして、
やがて「自らの持つべき心」をさえも創り出すのではないか?
と、私は感じます。
恐らく、そういう「自ら望んだ情報」の集積こそが、
「自分」
と呼ばれるこの宇宙個にして唯一の「特殊な感覚」を創り出す。
本の仕舞いm(_ _)m
いやあ、ここまで詳細に観測し記録して頂けるとは思わなくて面倒な事お願いしてしまって本当に申しわけありません。
で、また確かに私以外が見てもわけわからんデータかも。
実はその後これを更にABCで濃度分けしてみたりしていたんですが、そちらも返信時にお送りすれば良かったかしらん?
なにはともあれ実に良い感じです。
そう、通常我々は意識として能動的にモノを視ようとする・・ですね。
by monozof (2009-12-21 21:27)
>monozofさん
>>返信時
データというか資料の扱いや、解析と至る結論はお任せします。
ぶっちゃけアタシの範疇じゃありませんというか、私にはきっと無理なので(^^;ゞ
それこそ照度であったり、色温度とか、マンセル環とか色座標、懐中電灯に於ける立体グラフもそう。
それらが皆究極的に目指すであろう行き先は、たぶん、価値というか「効果」の共有なんじゃなかろーか?みたいなことを(私も?)思いますm(_ _)m
錯覚、予測、補正、補完。
サッカードみたく省いてみたり、無いものを足してみたり。視覚ってえれー複雑怪奇な気がしますが、
視覚情報に於ける「能動的」ってのは、恐らくそれが自分にとってどういうモノであるのかを理解しようとすることであろうと思われるような気がするんですよね。
だから、聴覚に於ける音感みたいに、物理的現実としてどうであれ、自分にとっての「効果」は主観的に終始するけれど、きっと主観的等価値の重なる部分はどこかにあって、それを音律みたいに共有できる。
すなわち、視覚「効果」の楽譜みたいなものが、、、
・・・できたらいいなぁ(^^;;
by 川端 (2009-12-22 18:39)