orandum est ut sit mens sana in corpore sano [ライト関連]
個人的な使用感を感想にするのなら、適正。
の時にHiguさんから頂いて開封すらせず即関西組全員がwingさんに預けるという極悪非道を経たストリーム的なnanoなアレ(Higuさんありがとう!\(^^))がありまして。
で、右がアッシの手元にやってきたwingさんによる改造品なんですな。
やっぱり、さすが。
グッジョブっス。うん(^^)b
※追記
エミッターはこんなカンジっス(^^)
屯鶴峯 [ライト関連]
過日、屯鶴峯という岩山を。正確にはその岩山に掘られた地下壕を見学に行って参りました。
メンバーは98kさんwingさんred-bicycleさんそして川端の、計四名。
以前にも一度。
にも見学させて頂いているのですが、こちらもまた前回記事の砲台と同じく第二次世界大戦の遺構のひとつ。類する観光地のイメージとしては、長野にある松代象山地下壕。その小さいバージョン(未整備)的な趣のものが今回訪れた地下壕であろうかと。
どんなトコかってーと
図にすればこんなトコです。
こういうあみだくじみたいなトンネルがでっかい岩山に掘ってある場所。
中はざっくりこんなカンジ。
図のスケール(ほぼほぼ正確なハズ)からご判断頂ければと思うのですが、それなりに規模があって、照明設備は皆無。ですが、崩落による閉塞等が無いので、図面にある全ての場所に入壕が可能です。
図面上は至って簡単な構造に見えますが、実際中に入れば体感として少し複雑。一部勾配箇所もあり、真昼であっても外光の届かぬ場所も多い。
通路が頭に入っていれば方角を見失うことは無いだろうと思うのですが、闇雲に動き回ると現在位置はアッサリ判らなくなるかも知れません。もしもマップ無しで中がどうなっているのか一巡で判断できたなら、それは特異なほどに優れた方向感覚であろうかと。その程度の「迷路」であります。
内部には雨水の流入が強く認められ、その浸食から足元は歩行が困難ではない程度の不陸(でこぼこ)となっており、更には、
各所に身の危険を感じる程の落石が認められます。
終戦から67年。岩山を刳り抜いて造られているとはいえ、この峯は石質が柔らかく風化も早いとされる凝灰岩(堆積形成のようです。また、見たところ珪素分が多く含まれているように感じられました)が主であるらしいので、そう遠くない未来、この壕に立ち入ることは出来なくなってしまうのかも知れませんね。恐らくは、崩れてしまうよりも路床の水没が先であろうかと。
構造上、かつ雨水に伴う土砂流入の結果出入り口よりも路床が低くなっており、故に排水が悪く年中水溜りが点在しているものと思われ、その水深は最深箇所で30cmを超えると判断されます。感覚に過ぎませんが、四年前より水溜りの規模が拡大しているのではないかと思われました。
長靴かウェーダーのようなものでも装備していない限り、場所によってはくるぶし、あるいは膝近くまでの水深を避ける必要があります。また、壁面や天井部には峯を浸透してきたと思しき漏水箇所が多数。
なので、この地下壕。自前の照明無しでの活動は極めて難しいと思います。
内部で確認できた生息動物は、跳ねまわる小さなカマドウマの大群。
そして、
コウモリさん。
詳しくないので種類は分かりませんが、鍾乳洞なんかによくいる。具体的には天川の蝙蝠窟にいたコウモリさんと同じ種類のような気がします。
果実をむしり取るかのような写真になってはいますが、私はこの彼だか彼女だかに触れていません。念の為。
触れるギリギリまで私の指が迫っても、まったくお構いなしにスヤスヤとお休みなっていらっしゃいました(^^)
さてさて。
少し前後しますが、
この屯鶴峯。奇岩が観光スポットになっているため、また、ダイヤモンドトレールという全長45~50㎞という大規模なハイキングコースの始点ともなっているためなのか、入口付近にはトイレもあり、また、四年前には無かった駐車スペースも整備され、隣接の道路も拡幅されておりました。
マップです。画像だと小さいですが、実際はA3サイズ二枚。
これが屯鶴峯の、まあ、全景というか、その地下壕の位置と我々が辿ったルートになります。
マッピングなどせずに進みましたので記憶に頼り不正確かつ切り返しなど細かい部分は完全に省略しておりますが、
黄色は峯の頂上を経由するルート。
水色が谷筋を進むルート。
我々が見学したのは西側の壕で、東側の壕は施設利用されており立ち入ることができません。ちなみにこの辺りを住所で言うと奈良県香芝市穴虫某所ということになるようです。
今回は黄色のルートで行きました。水色のルートは四年前。
今回の黄色ルートを発見、というか、そのルートを進むことを選択なさったのはred-bicycleさんであります。
前リンクの98kさんの御記事をご参照頂ければと思うのですが、その当時我々"関西組"はまだ98kさんwingさんと私の三名だけでred-bicycleさんとは知りあっていなかったんですね。だから、当然のように四年前にはred-bicycleさんとご一緒は出来ていなかった。
また、red-bicycleさんがこの地下壕を初見であるとのことでもあったので、
「じゃあ、マップ渡しますんで。red-bicycleさんが地下壕を見つけて下さい」
と、提案させて頂きました。そのほうが楽しいかと思って。
で、結果から先に。
このひと。つまりred-bicycleと書いて赤い鉄人と読む氏は、四年前には四時間近く三人で迷いに迷ってやっとこさ到着した地下壕に、ほぼ最短と言って良い黄色のルートを、迷うことなく一直線。
なんと約二十分で壕に到着なさいました。
赤いから三倍どころじゃねぇ。12倍。いや、三対一だから36倍?
ちなみに氏はコンパス不使用。方角は、背中に太陽を感じていれば"だいだい分かる"のだそうです。前世は渡り鳥か?
もうね、マジか? と。 ぶっちゃけ、なんでやねん! と(^^:
なんちゅーか、やっぱ、こう、動物的な勘が鋭いというか、体力もあるし目も良いし、red-bicycleさんすげーですわな。素直に脱帽でした。
ああ、でも。。。
そういえば四年前。
思い返してみれば、主に98kさんの先導により我々もほぼ三十分程度で壕のすぐ傍。具体的には水色のルートの谷筋で鋭角に切り返して壕の入口へと登る地点に到着していたんですよね。
該当地点あたりで、98kさんは確か「この辺りのハズ」だと仰ってもいた。
けれど、そこで我々は判断を間違えた。壕の入口が谷筋から目視で確認できるものであると全員が思い込んでいたんですね。だから迷っちゃった。
なんやかんやゆーて、あの日アッサリとポイントを特定し至近までとはいえ到着できた98kさんも、やっぱり凄いんじゃないかと思うんですよね。想像するに勘というよりは経験則的な部分で。
ま、とりあえず私は、初挑戦の単独だと何時間掛けても壕に辿りつける気がしませんけれども(--ゞ
とゆーことで、
黄色、あるいは水色のルートで地図上の丸十字の部分に到着すると、
最初の図面②の入口か、
③、④の入口が発見できます。
③、④は入ってすぐから完全に水没しているので、
②から中へ入るのが無難。
我々は適当に中をウロウロしてから
西側の⑦へと抜けて
休憩がてらの昼食を(^^)
ちなみに
この写真。
いや、まあ、ただの酔っ払いにしか見えないというウワサも無きにしもではあるのですが・・・
こう、98kさんが満喫なさっているカンジが伝わるでしょうか?
この時のメシ食ってる前後の写真ねぇ。ホントねぇ、皆さんいいカオして笑ってんのね。アタシも含め。
公開できないのが残念でならない。なんとなく。。。
で、
反対側⑤または⑥(どっちか忘れましたが、たぶん⑥)の入口から再突入。ちなみに⑧は⑤⑥⑦よりも高い位置にあり、壕内からだと勾配を上って行くことが出来ましたが、閉鎖されていたので出入りはできませんでした。
再突入してみると、
図でいえば丸Aの地点を、えーと・・・ 発見?
疑問形なのは、前も見たっけなぁ? みたいなカンジで、どうにも見覚えがなかったからなんです。前回くまなく回ったと思ってたんだけどなぁ・・・(^^;
狭い部分をくぐって進むと、中の空間はけっこう広がっており、
①の出入り口へと続きます。
写真でご判断いただけるかどうかなのですが、左の退避部分らしきものの床を水平だとすると、①の出入り口はほぼ縦穴。高低差、どんなもんかなぁ? 3メートル前後くらいだったかな? チョロチョロと水の流れる凄く小さな滝みたいになっておりまして。
私、ここ登ったんですよね。ええチョーシんのって。で、降りられなくなっちゃいまして。。。
いや、登ってるときに降りられないのは分かってた。わりと急角度だし足場は少ないし滑るし。
分かってたんですけれど、パラコード持ってるつもりだったんですよね。いつもザックに入ってるから。それで降りればいいや。と、登っちゃった。
でも、登り切ってから今回はウエストポーチの最小装備。そのザックそのものを持って無かった事に気がつき「あっちゃ~」みたいな。ね。。。orz
最初は外から②の入口のところへ行こうと試み皆さんからはぐれたものの、そのルートが発見できないまま下へ下へと進むしかなくて。
仕方がないので、マップ上緑の線を通って単独で峯から脱出しました。
途中整備ルートみたいなものに辿り着いたりもしたのですが、柵とか立入禁止とかもあり、なんやかんやで、
気がつけばこんなところに行き着き国道をえっちらおっちら歩いて駐車場まで。
どうだろう? だいたい2kmくらいの道程だったような気がしますが、険しいとこもあったので、結構疲れました(--;
緑の線は、ルートというより雨水によって無理やり切り開かれた川みたいな崖みたいな、そういうルートです。下るのは容易いですが、上るのは困難。峯から脱出する為には川を横断しイバラみたいな棘のある植物の藪を突破せねばなりませんでしたので・・・
素直に、お勧めしませんm(_ _)m
以上。
なんですが、
コレ。
何だと思います?
なんか少し、若干恒例っぽいカンジが無きにしも非ず、いわゆる関西組でオフをするとなぜか誰かが持ってくるという
非常食です(^^)
ちなみにこのドライバナナをご提供頂いたのはwingさん。ごちそう様ですm(_ _)m
栄養価が高く、わりと長期の保存がきく。ドライフルーツはビタミンや繊維を手軽に摂取できるような気がするので、非常用の保存食として優れているのかも知れませんね。
ちなみに私には「確かにバナナなんだけれどもなんだかアケビっぽい味」がしました。
うん。潔いいな(^^)b
おしまいm(_ _)m
だいたい戦争なんてものは固い信念を持った者同士が起こすんだからね。 [ライト関連]
HEY!
Are You there?
・
・
・
オフでした。キャンプも有り(^ー^)
場所は和歌山県の加太。住所で言うと和歌山市深山になります。
御参加は、98"迷彩の燈鬼"kさん、win"探求の工匠"gさん、red"生来の鉄人"bycicleさん。そして末席にワタクシこと川"脆弱の亡霊"端。以上四名m(_ _)m
すんごい久しぶりのオフというかキャンプのような気がしていたのですが、まあ、例年夏は絶対に近いくらいオフもキャンプもやらないし、5月には熊野キャンプに参加し、6月には姫路のプチオフにも参加してはいるのでそーでもないだろうか? いや、でも、ガチのライト+キャンプは3月の見近島かぁ・・・
そう思うと約8ヶ月ぶり。やっぱすげーひさびさだったような気がします。
さて、今回のオフで訪れたのは、
と
にお邪魔した友ヶ島を含む『由良要塞』なる砲台群のひとつ、加太・深山地区。その深山であります。
砲台探索の写真一枚目。
休暇村紀州加太(恐らく旧加太国民休暇村)駐車場の隅にひっそりと残された遺構の内部。棲息掩蔽。つまるところは"ほぼ隠蔽された"弾薬庫なのだとか。旧い煉瓦の空間がありました。
二枚目。
一枚目の外になります。
資料(たぶん地図)を確認しながら階段を上ろうとする98kさんとそれを撮影しているred-bycicleさんと資料(たぶん地図)を確認しながら階段を上ろうとする98kさんを撮影しているred-bycicleさんを撮影しているwingさん(^^)
んで、
三枚目。
休暇村施設から徒歩で移動。写真よりはもーちっと険しいところもありますが、それでもなんてことのない山道をのーんびりと歩いて山頂へ。
そーすっと、やっぱ行き着くのは砲台なのねってことで、四枚目。
アーチの上は舗道。橋です。
んで、
四枚目の立ち位置のまま振り返ると、そこには大砲そのものの設置跡。
榴弾砲っていうらしいんですが、友ヶ島の時と同じく大砲が窪みに隠れるような構造になっていて、斜め上を狙って高仰角に砲弾を撃ち出すタイプの砲であったようです。たぶん。
五枚目。
98kさんの足元から緑の下草が円形に広がっているのが御確認頂けるでしょうか?
このようにというか、円形の大砲の大座跡のところが煉瓦のプールみたくなっていて、そこは土が柔らかいんですね。だから前写真のような光景になる。
ってなところで、こちらは国定公園。管轄は環境省らしいですねという七枚目。
んで、もっかい振り返っての八枚目。
四枚目の橋の下に地下へと続く階段がございまして。
降りて下からの九枚目。
十枚目は地下の棲息掩蔽部。その入り口。
そしてその中。十一枚目。
撮影した砲台跡にはこんなカンジの構造物がいくつかありまして。
十二枚目。
棲息掩蔽部の奥が繋がっている物とか、
十三枚目。
天井部に孔の開いている物。
なんてのもありました。あたりまえっちゃあそうなのかも知れませんが、友ヶ島の砲台跡とよく似ている。というかほぼ一緒なカンジ。
由良要塞は、まあ、防衛のための施設。攻めるのではなく守るための兵器設備だったワケで。
淡路の由良を中心に、加太・深山、友ヶ島、鳴門の各地に、大砲とそれに付随する聴音所や兵舎等の施設を設置し、大阪湾へと侵入してくる外敵を排除する目的で整備された砲台群なのだそうです。
付け加えるならば、これらの戦闘設備は、太平洋戦争開戦時には時代遅れ。それまでに於いては幸運にも迎撃を必要とするような戦闘が皆無と、ほとんど使用される事も無かったのだとか。
しかし、それでも。
この煉瓦造りの遺構が示すのは、やっぱり悲しい歴史に他なりません。
これは、かつて誰かが必要を認め、かつて誰かが設計し、かつて誰かが積み上げ完成させた戦闘の為の物。その矛先は紛う事無く「人間」だっだのであります。
つまり、我々が何度か訪れてきたこれらは、
「誰かが誰かを殺す為のシステム」を誰かが必要としていたのだ。
という事実を示す物証に他ならないものであるのだと私は思うんですね。
まあ、こうして写真を見返してみても、なんか味のある煉瓦の廃墟ってか、もはやただのちょっと変わった場所。照射して軽い探検気分を味わうことのできる都合の良い廃棄された施設。みたいな感想しか私自身抱きませんし、いままで何度か訪れた砲台跡で血生臭い戦争の歴史を実感するような体験をした覚えもありません。
けれど、それでも。
それでも、この煉瓦造りの遺産は、確かなる"戦争の事実"を、その凄惨な背景を持つ「人間」の過去を今もそこに繋ぎ止めているんだろうな。みたいな事を考えてしまうんです。
だって我々は、いまこの瞬間も戦闘兵器や設備を"持って"います。
それは、こんな旧式の砲台なんぞたとえ現役でも及ぶべくもないほどに進歩した強力な兵器群であり、その圧倒的な破壊力の矛先は尖端技術の精密さで「人間」へと狙いを定めている。それはすなわち『どこかの誰か』を殺す為に。
そう。自衛隊です。
そして世界中にある軍事力。もちろん戦闘だけがその目的ではないのでしょうが、それでもそれは純然たる威力。「誰かが誰かを殺すシステム」の一部に他ならない。
恐らくいまこの文章を読む「あなた」も、そして私自身「誰かが誰かを殺す為のシステム」を必要と認め、"所持"していると言っても過言ではないでしょう。だって「国民」なんですから。もっと捻くれてしまえば、警察力だって、なんなら死刑制度だって似たようなものであるのかも知れない。
ちなみにというか、念の為というか、私は自衛隊廃止論者でも死刑廃止論者でもありません。そこに暴力という存在がある限り、それを相手の都合など無視して一方的に行使しようとする者が確かにいるのだと認識する限り、「必要だ」「仕方ない」などと容認する考えです。
国際紛争の解決手段が、ひいては人間同士の争いに優劣を着けるものが最終的には暴力であり続ける以上、恐らく人類史から「誰かが誰かを殺す為のシステム」の消え去る日など来ることは無いでしょう。むしろ未来には、現在よりももっと効率的に「誰かが誰かを殺すシステム」が生み出され続ける事だろうと予想されます。それは仕方の無いことなのかも知れません。どんなに道具が進歩しようとも、所詮人間なんぞ縄張り争いや群れの中での権力闘争に明け暮れる劣化した凶暴な猿であり続けるのかも知れません。
でも、ですね。
楽しいんスよ。楽しかったんスよ。わざわざ不便を味わいに行くに過ぎないとも言えるキャンプだったり、懐中電灯なんてな埒もねー趣味に興じてウロウロ徘徊してみたり。そして、また行きたいとやっぱり思う。
そういうのって、きっと戦争なんかしていない"現在"のこの場所だから出来る事なんじゃないかと思うんですね。
だから。
願わくば、そんなもの、必要なんだから仕方ないじゃないかと"所持"を認めざるを得ない気のする「誰かが誰かを殺す為のシステム」なんてものが、未来永劫活躍する機会など来なければいい。
本当に、そう思いますm(_ _)m
などと、
ちょいと真面目なというか、いたって偏屈な感想も挟みつつ(^^;
キャンプの夜は、98kさん特製"美人鍋"でありました。
『これ以上美形になっても困るなぁ』とか冗談のたまいつつも、
コラーゲンをたらふく食ったからといって、あるいは顔に塗りたくったからといって、だからってお肌はプルプルにもスベスベにもなりゃしません。そりゃあそうでしょうとも。ヒト以外の、あるいはヒトであったのだとしても、IPSじゃあるまいし、細胞というかもはや異物を消化もせずそのまま体内に摂り込んでしまったりなんかした日にゃあ拒否反応のカーニバルですよアータってなモンではあるのですが、、、
けど、ウマかったです。あったまったし(^^)
他にも、なんか色々食べました。
来る道すがら98kさんのお知り合いに頂いた釣りたての太刀魚やら、
焼き鳥やら。
ええ、
ぬこ様といっしょに。って、いや、猫様は食ってませんよ。食料を献上させて頂いただけ(^^:
あとは、海難救助食やら宇宙食やらチョコレートやらコーヒーやら。98kさんがご提供だっただったような気がしますが、howa-saraさんに頂いたのだというスナック菓子もあったような気がしますm(_ _)m
で、
今回秀逸だったのは、このミニマグカットダウンwingスペシャル。
数値や細かい性能は省きますが、使用感として、明るさは屋外使用に十分。携帯性も十分。ランタイムとしては、単三1本でザックリ4時間程度一定照度を保ち、ダラ下がりで一晩は楽勝。防水性は雨天上等の水中使用には耐えない程度。オプションを使えば、ランタンとしても、ライトワンドとしても使用可能。
このミニマグ。筐体は、まあ、カットダウンのミニマグそのものなんですが、製作者がwingさんであるので、当たり前のようにその内部システムに於ける信用性は高い。
また、照度・照射パターン・ランタイム・電源・防水性。およそ全ての面に於いて、目立ったというか、特化したピーキーな部分を持ちませんが、それ故にアウトドア的実用面で必要な性能を網羅しつつ安定の使用感を約束します。
ちなみに、御製作のwingさんをして、やっと完成を、御自身にとってやっと"ミニマグで理想的な"MODがひとつ完成したような気がする。とのこと。
そもそもwingさんがMODを始められた切っ掛けがそこにあるとのことでしたので、完成なさったときには、きっと嬉しかったのではないかなぁ。などと勝手に想像していますm(_ _)m
ちなみに
このオフには三本登場。恐らくというか、それぞれ少しずつ仕様が異なります。
左から、赤は当然というかred-bicycleさん器。右端の緑は不詳私めの所有(^^)
さて、
そうこうしているうちに夜は更けて。
『あー・・・ wingさん。我々まだテント設営してませんね・・・』
『しょーじき、メンドーですね。98kさん。。。』
『私はここで寝ますキッパリと』
『え? red-bycicleさん、タープで寝るんですか?』
『ええ。コット使います。川端さんもタープの中にケシュアでいいんじゃないですか? どうせ雨降りますし』
『あー・・・ ナルホド。じゃあ、アッシもタープの中にテント張ります』
『そーかー・・・ 明日は朝から雨かぁ・・・』
『恐らくというか、ほぼ間違いなく』
『雨の撤収ヤだなぁ・・・』
『撤収の心配する前に今日の寝床ですよ。これ以上腰が落ちついてしまう前に設営してしまいましょう』
『えー・・・』
『えーじゃない。キリキリ動きますよぉ!』
みたいなカンジだったと思います。テントで寝る組が設営に。ちなみにwingさんはそのままダウン(^^;
お疲れだったんでしょうね。その後しばらくして夜間探索に出るに当たり98kさんが容赦なく起こそうと試みていらっしゃいましたが、この夜wingさんが活動を再開なさることはありませんでした。はい。
んで、残された三名は、サイト周辺をウロウロピカピカと散策。結果として、昼間の内に98kさんが当たりを付けていた将校用の兵舎?跡らしきものを目指しました。
道は、
こんなカンジ。
下手な写真で申し訳ありませんが、一応道として機能してんだかしてないんだかみたいな切り返しのある坂道を登ること数十メートル。
すると
施設入口の跡らしい煉瓦の遺構を発見。
ただし、この奥にあったのであろう施設は草木と土に埋もれて分け入る事も難しく、何も発見できませんでした。
で、引き返してサイトに到着したところ、皆いわゆる"ひっつきむし"。すなわち何かの種と思しきチクチク塗れになっており、しかもこの"ひっつきむし"は、トゲ状かつ粘性の液をまとってネチネチとしているあまり気持ちの良いものではありませんでした。取るのがたいへん(--;
その後タープに収まり、もう寝ようか? いやもう少し。あーでもないこーでもないなどとくっちゃべっておりますと・・・
「すみません。静かにしてもらえますか(#--)」
との男性のお声がタープの外から。恐らくは近くのサイトにいらっしゃったどなたかでしょう。
『あ・・・ すみません(^^;』×3
ふと時刻を確認すれば、午前1時30分。そら怒るわな。。。
『寝ましょう。速やかに。そして静かに(--;ゞ』
そんなワケで。
おやすみなさい(^^)
んで、翌日。
私以外(--)には懐いた。特には連れて帰りたそうにさえなさっていたwingさんにやたら懐いたぬこ様に見送られつつ、
オフはおしまい。
雨の中撤収してから、夕方まで観光とかショッピングしてましたとさm(_ _)m
ああ、そう。最後に今回のタイトルは、銀河英雄伝説はヤン・ウェンリーのセリフより。
まっ、アッシ如きなんぞにゃあ固い信念なんてシャレたモンの持ちあわせなんてありゃしませんやな。メンドー事は極力避けるチキン。終いっつっても仕舞わねぇ。仕舞ってねーっても終い。節操無しのゲス野郎と蔑んでやってくだせぇ女王様щ(゚∀゚щ)
ではでは、もしもいつかがございましたなら。
また、いつかm(_ _)m
GITD茸 [ライト関連]
某日のこと。
red-bicycleさんから
「光るキノコ」を探しに行きませんか?
というお誘いを頂戴しました。
今回の「光るキノコ」
その正体は、椎の灯火茸(シイノトモシビダケ)というのだそうです。
調べてみると、
菌界菌じん綱ハラタケ目キシメジ科クヌギタケ属に属するキノコであり、梅雨や秋の長雨といった湿度の高い時期に椎などの広葉樹の朽ちた幹に発生する。
学名は"Mycena lux-coeli"(ミケナ ルクス-コエリ)
1950年頃に八丈島で発見され、伊豆諸島・八丈島にしか存在しないとされていたが、現在では、大分県、宮崎県、紀伊半島南部、兵庫県等に分布が確認されておりつつも、
その存在は希少であり、どうやら日本固有の種。
この茸は、菌糸内にルシフェリンという発光素を持ち、それがルシフェラーゼという酵素と化学反応を起こすというホタルと同じ理屈で闇夜に淡く緑色の光を放つ。
この発光現象はATP(アデノシン三リン酸)の無いところでは起こらず、
ATPは「生体エネルギーの通貨」と呼ばれるほど生物にとって重要かつ共通するものであり、全ての真核生物が利用するヌクレオチド。
すなわち、
彼らは「生き物であるが故に光る」ものであるのだと言える。
"Mycena"は「茸」"lux"は「光」"coeli"は「天」を表す言葉なのだそうで、
その意味するところは「天の光の茸」
天の光を宿したこの茸は、
発生から数日、ほんの二日ほどでその輝きを燃やし尽くすという、美しくも儚い存在なのだとか・・・
つーか、、、
昂まるっ!( ̄ー ̄)
闇夜に光るキノコ。なんだその素敵な菌糸類。
「菌糸」だけでも素敵なのに、腐海的な意味に於いて限りなく素敵なのに、グロウ処理済みなんスか?天然で光るんスか?しかもヒカリゴケとかみたく反射じゃなくて自己発光スか?いわゆるGITDスか?グロウ・イン・ザ・ダークってワケですか?
なんだソレ?素敵過ぎてもはや生きてるのがつらいんですケドどうしたらいいと思うマイハニー?
「見に行けばいいと思うよ(^^)」
てなわけで、
妻の同意を勝ち取り、「アタシも見たい連れて行け」とゴネる娘を「おっちゃんばっかりの集まりだから」と置き去りに、川端号は出発。
98kさんwingさんと拉致しつつ現地に向かい、現地近くでred-bicycleさんと合流。
いつものお気楽四人組は、夜な夜な集まり「光るキノコ」ってのを探しに出かけました。
当初は雨の予報で、森林の中をアテも無く探し回る計画だったのですが・・・
まあ、雨なんか皆目降ってませんでしたし、
また、wingさんが持ってきた事前情報が正確過ぎまして、、、
現地突入から、ホント正味1分と掛からなかったんじゃなかろーか?
まさにサクっとキノコを発見してしまったという(^^;;
「う~ん、、、物足りませんね(--;」
「そうですね。こう、屯鶴峰んトキみたいな、なんちゅーか、見つけたぁっ!やったぁ!みたいのがまったくありませんなぁ(--)」
「ですよねー(^^;」
とか言いながらも、幻想的ですらある自然の神秘は被写体としても素敵。
アタシを除けば皆さん写真好きでいらっしゃいましたので、とりあえず撮影に没頭。
挑戦の結果アタシのカメラじゃ写んないってのが判明し、「あとで写真下さいね~(^^)」なんつって、アタシは早々に撮影を断念。
ぶっちゃけ退屈なんで、川端はHiguさんに作ってもらったUKの2AAなんかをヘッデンがわりに、ちょいと森の中なんかを散策。
見通しのあるところでは、やはり照射距離性能に不足を感じてしまいましたが、
光量もそれなりに有り、広角で光色も良く、数メートルの近距離用途ではかなり納得の照射。
狭い場所や構造物内なら単体で、屋外でもそれなりに。あるいは見通しの効く場所だけ中・長距離用のハンディを補助的に併用すれば、メインとしての使用に十分な性能だと感じました。
Higuさんありがとね(^^)b
そんなこんなで、
wing氏撮影
red-bicycle氏撮影
そう。人様の写真で記事を書く(--)v
さておき、
やはり、写真で見るより実物を見て頂くべきなのだろうとは思うのですが、
闇夜で光ってるキノコって、とても幻想的な光景。アタマで理屈が解かってはいても、目の前にしてしまうとやはり不思議な感覚を持ちました。
もしもオフ等で今までご一緒させて頂いた方等でご興味の方がいらっしゃいましたら、お声掛け賜れれば、
もちろんタイミングが合えばですけれど、
場所をご案内差し上げたり、なんなら同行させて頂くことは可能です。見れるかどうかは運次第(^^)
ああ、そうそう。
未確認ですが、シイノトモシビダケって食用に耐えるそうです。
ただし、私たちの行った場所だと、このキノコ、採っちゃいけません。希少・貴重な種なので保護したいということらしいです。
故に、有名な光るキノコスポットらしいのですが、このキノコの生えている場所も土地の管理者は秘密にしているのだそうで、問い合わせても正確な位置を教えてくれないのだそうです。
もちろん我々も、肉眼による観賞と写真を撮る以外には何も、指先ひとつ触れちゃいませんので。念のためm(_ _)m
け ・ ど 、
食えるらしいっスよ( ̄ー ̄)
Physical Pastoral [ライト関連]
あくまでも個人的な意見ではあるのですが、
アタシャ天譴論みたいな物事の捉え方って大嫌いなんですよね。
例えば、
怖い目に遭って震える「誰か」に向かって、
住むところや財産を失って明日をも知れない状況に追い込まれてしまった「誰か」に向かって、
不幸にも亡くなってしまった方を悼む「誰か」に向かって、
被災地で行方が知れなくなってしまった方を必死で探し回る「誰か」に向かって、
あるいは、物資や医療を充分に享受することの適わなくなってしまった「誰か」に向かって、
「そいつぁ天罰ですから」って言ってのけられる奴がもしもいるのだとしたら、その神経って在り得ないと心底思うんです。
つか、
テメェ、バカ過ぎて脳ミソ膿んだんじゃねーか?
みたいなことを思ってしまうだろうと思うんですよね。
きっとm(_ _)m
さて、
過日、wingさんより、米軍の戦闘食が手に入ったので皆で食べてみませんか?というお誘いを頂戴しまして、
紆余曲折は面倒なので省きつつ、「じゃあやりましょう」ってなこって、
「MRE」とやらをご提供頂くwingさん。
んで、98kさん、red-bicycleさん、末席に川端。
以上4名にて、
こんなものを食させて頂いてまいりました(^^ゞ
で、まあ、ついでというか、
書き始めてしまうとどうにも暗いことばっか書きたくなってしまうのでアレなんですが、大きい災害の直後なご時世でもございましたので、
「今回は、非常持ち出し装備だけで山へ入ってみませんか?」
みたいな提案をさせて頂いたんです。
私はごくごく普通の一般人であり、かつ、いままでアウトドアが趣味と言えるほど積極的な野外活動をしてきたワケでもありませんので、
98kさんとかwingさんとかみたく知識や経験のある方々とか、red-bicycleさんみたく体力のある方とか、そういう自分とはまったく違う趣きの方々と「非常用のセットだけで野外活動をしてみる」みたいな経験がありませんでした。
そしてたぶん、私以外の方々も「非常用のみ」みたいな経験は無かったのではないか?と。
そこで、自身の装備を試し、見直し、そしてお互いの装備を学び、また見直す。
この際、そういうことが出来れば良いなと思ったワケですね。
んで、
直前までご参加の予定が立たなかったred-bicycleさんを除くご両名には計画初期の段階でご理解を得られご賛同賜れたものとして私は行動していたのです。
が、、、
当日。
いきなり飲むんかい(^^;
98kさんとwingさんは、とにもかくにも酒精にて乾杯。
まあ、とりあえずそれは良いでしょう。そもそも食べ物主体のオフ会でありましたし、お酒の好きなひとは、ね。好きなんでしょうから。
けれど、
とりあえず、
こちらがred-bicycvleさんのザック。
うん。まあ、小さいですよね。
急遽のご参加でいらっしゃったので、非常用というより今日必要な装備の最小限。みたいなことでいらっしゃったのではないか?と思いました。
んで、
こちらが98kさんのザック。
をい(--)
こう、なんちゅーか、デカい。そして重い。これのどこが非常持ち出し装備やねん?
まあ、ご本人の曰く「非常持ち出し宴会セット」だったらしいんですけれど。。。
で、
写真がありませんが、wingさんはリーコンというノースフェイスのザック。
出発寸前まで防災セットみたいなものを詰めておられたようなのですが、
98kさんが宴会装備と知るや否や、要するにwingさん自身も「飲む」と決定した瞬間ということですな。
「重いな(^^)」
つって、次々と装備をパージ。
最終的にはえれー軽いザックで歩いていらっしゃいました。。。
ええ。要するにガチの防災装備で参加したのはアタシだけ(--;
そんなこんなで、
本当は、「持ち出し袋」というか「普段からある程度持ち歩く防災装備」みたいなことを真面目に考え直して記事にするつもりだったのですが、、、
諦めました。今回は(^^;;
さてさて、
今回メインのテーマだった「MRE」
たぶん、98kさんが記事になさると思うので詳しくは詳しい方にってことでアタシのほうはサラっといっちゃいますが、
"MRE"とは、恐らく現行で米軍の採用しているレーション(野戦食)のことで、
"Meal, Ready-to-Eat"の略なのだとか。
基本的には、
高度380mからのパラシュート投下、高度30mからの単体梱包投下で破損せず、
摂氏27℃の環境で3ヶ月以上、摂氏38℃でも6ヶ月以上保管ができ、
摂氏-51℃から摂氏49℃までの気温に短期間耐えられる。
ように出来ているのだとか。
最初の写真のひとつをバラしてみると
こんなカンジ。
石灰かしら?ヒートパックで温めるものを温められるようになっていて、スプーンまで付いていて。
これは「とにかく水さえ手に入れば温食が出来る」という構成なのだとか。
ご提供頂いた4種のうち、確か三つ皆で分けて食べたのですが、
味は、なんちゅーか、思っていたほどマズいものではなかったような気はしつつ、
しかし、全体にというか、その概ねのメニューの根底に流れる妙な味(保存の関係?)が印象的でした(^^;タブン、カラダニヨクハナイ・・・
ご提供頂いたご本人wingさんの曰く、
「好んでもう一度食べたいとは思いませんねぇ(^^;」
とのこと。アタシも同じ意見であります(^^ゞ
ともあれ、
珍しいものを食べさせて頂きましたwingさんに感謝を。
ありがとうございましたm(_ _)m
あと印象に残っているのは、
くつろぐ猪の図
ザック背負ったままサクサク懸垂する「ヒトのカタチをした何か」の図(--;アリエネェ・・・
レーションだけでは足りんと「甘い匂いがするがるるげひげひ」とred-bicycleさんに襲い掛かる「ヒトのカタチをした獣」の図
wingさんお手持ちだった、ひょっとしたら防災最強かも知れない"ZebraLight H51FW"(フラッド、AAシングル、ニュートラルホワイト)の図
98kさんの簡易シェルターの図
ゴミは持ち帰るの図
米軍本物(^^)
そんなこんなで昼間は終わり、
wingさんが持ってらした折りたたみのイスが超良かったので、そのまま買ったお店に連れてって頂いて購入したり、
四人で寿司食ったり。
んで、wingさん家に上がり込んで、
「つないどきゃあ、誰か釣れるでしょう(^^)」
つって、スカイプでHiguさん釣り上げて、その後リオさんとか交えて夜中まで騒いでみたりして、
なんだか心地良い疲れの中、
このレーションオフは終了しました(^ー^)
今回、
なんか、こう、毎日真綿で首を絞められているようなとでもいうのか、、、
私の場合は、
そもそも賃貸の部屋住まいでしたし、避難といってもほんの数週間の出来事でしかありませんでしたが、
ある日突然住むところがなくなって、
自分なんか凄くマシなほうで、自分より酷い目にあったひとがたくさんいる。自分より遥かに辛い思いをしているひとがたくさんいる。そうアタマでは分かっていても、そんなことは関係なくて、
どうして自分がとか、そんなことずーっと思いながら、あんなに鬱々と、けれど淡々と、毎日毎日長い長い渋滞に巻き込まれながら、なんか物ばっか運び続けて、
あんなに寒いの我慢して、
あんなに面倒で、
あんなに疲れて、
けれど、
そうか。もう16年も経っちゃったんだなぁ・・・
こうやって気がついてみると、もうすっかり忘れてたんですよね。
兵庫県南部地震のときの、あの惨憺たる有様の街並みとか、被災地全体を包む悲痛な空気感とか、
そういうの、もうすっかり日常からは消え失せて、もうすっかり忘れ去っていて、
そう思ってた。というか、実際そうだった筈なんですけれど。
怖いですよね。やっぱり。
それは、人間としてどうなのか?みたいなことであれば間違っているのかも知れませんが、どこか外国の大きな地震のニュースなんかでは呼び覚まされることのなかった恐怖。
その時は強く意識しませんでしたが、そういえば、三宅島の噴火とか、中越の地震の時とか、国内の災害のニュースなんか見てしまうと怖かったような気もするなあ・・・
やっぱり、国内の、それもこれだけ大きな災害だと否が応でも、大丈夫だとは思っていても、それでも怖い。
だから私は、
自分や家族、あるいは知人の為に電池や水、保存食なんかを買い漁るひとを責める気にはなれない。いや、まあ、そういうのって、結局巡り巡って自分の首も絞めてしまうようなことのような気はするんですけれども、
それでも。というかなんというか、
まあ、私自身だって、防災グッズとか持ち歩いていて、非常食や水、そういうのを少しですが備蓄していて、ある程度備えてるんですよね。
その理由は自分や家族を守りたいからで、
たぶん、そのメンタリティは、「商用で買い占めよう」みたいなことでなければ、今回の震災後急に備えようと思い立ち走り回る方々と何も変わらないと思うから。
怖い。
理由はそれだけだと思います。不安なんだと思います。
自分の財産や、自分の家族、そして自分自身。
それがある日突然、天災という理由で、
それは、たぶん人にとって何の理由も無いに等しく酷い目に遭わされる。果ては奪われてしまう。
まかり間違っても運命とか天罰なんてなくだらない理由では納得のしようも無く、こんなに理不尽で恐ろしいことは無いと私は思うんですよね。
そんなワケで、ちょっと、こう、
北日本の地震以降なんだか鬱々とした気分だったのですが、今回良いウサ晴らしになりました(^^)
諸々ご一緒させて頂いた皆様に心よりの感謝を。
ありがとうございました。川端、復活であります(^^ゞ
ってなことで、
今回は、おしまいm(_ _)m
マイナス4℃の見えない世界 [ライト関連]
そんなワケで、
自称脆弱の駄犬ことワタクシ川端、
2011年最初のオフは、前回記事にさせて頂きましたhowa_sara氏主催による名古屋明徳公園での「照射オフ」となりました。
それは、私にとって既に21回目となるオフ会への参加でもあったのですが、
いまだかつて経験したことのない規模であり、
また、白馬オフ以来のライトオフとしての「ガチ」感でもありました(^^)
今回、私が心底残念だったのは、お忙しくて参加できないというwingさんを拉致れなかったこと(--)
wingさんがあそこに居たらなぁ、、、もーちょっと、こう、色々解説付きで堪能できたのになぁ。。。
ああ、そうそう。
wingさんにお預かりした「お土産」は、キッチリお渡ししておきましたので(^^ゞヨロシク・・・
素直に、
同好の集団とはいえ既知の、なんなら既に実体化済みの仲間内だけではありませんでしたし、そもそも初対面の方が15人もいらっしゃるような場所。
しかも、今回は事前にどなたかとネット上で密にコンタクトをさせて頂いたようなこともありませんでしたので、
普段のオフだと「顔とかクルマのナンバーとか写っちゃいけないモノが写んないように」とか「こういう記事用のこういう写真を」みたいなことを考えつつ写真を撮る余裕があったりするのですが、今回は、正直、カメラを出すのも最初躊躇した程でしたし、
まあ、アレです。ぶっちゃけたハナシ、、、
私は、最初自分がどこでどうしてればいいのか?ここではどういうことをしても構わないのか?みたいなことが良く判りませんでした(^^;
また、
ネット上での「川端」がどういう印象であるのかを私自身が判断するのはとても難しいのですが、
掛けて頂いた御言葉で印象に残っているのは、
某氏「意外と礼儀正しい方なんですね(^^)」
・・・意外って言いましたか?いま(^^;・・・
みたいなことでありました。。。
えーと、、、
可能な範囲で恐縮ですが、反省しときます。はい(--;ゞ
しかし、まあ、アレですよ。
単なる経験則に過ぎませんが、ネット上の印象なんぞ、その人物を実際目の前にするにあたりほぼアテんなりゃしねー。
強いて言うならcinqさんが例外的ではあるものの、いままでお会いさせて頂いた方々で私が抱いていたネット通りの印象の方は、ほぼいらっしゃいませんでした。
だから、
私は、モニター越しだろうが実体だろうが、いま目の前にある姿が自分にとっての「そのひと」だと思うことにしています。例外はありません。
例えば、どこかの「そのひと」が、
ネット上でめちゃ面白い記事を書くのに、リアルではとても無口。
ネット上では礼儀は愚か、なんなら罵詈雑言撒き散らしているのに、リアルでは非常に礼儀正しい。
ネット上ではリーダーシップを発揮し「場」を仕切っているのに、リアルでは「場」の状況に流されるばかり。
そんなカンジだったとしても、
それは、別に「そのひと」の本性がどちらかにあるワケではないと思うんですね。
たぶん、
そのどちらもが「そのひと」
たまたま諍いの最中にある「そのひと」をネット上で見かければ、大人げないとか、あるいは凶暴だとか、そういう印象を抱いてしまうだろうし、
たまたま諍いの最中にある「そのひと」とリアルで遭遇してしまえば、やはり大人げないとか、あるいは凶暴だとか、そういう印象を抱いてしまう。
んで、
たまたま好きな話題で盛り上がる「そのひと」の書き込みをネット上で見かければ、楽しそうだとか、好人物だと目に映り、
たまたま好きな話題で盛り上がる「そのひと」と同席する機会があれば、やはり楽しそうだとか、なんなら好人物だと印象に残る。
つか、
敵意の無いひとには友好を示し、害意を感じれば抵抗し、ヤバそうなら逃げる。
それは、ネット上だろうがリアルだろうが、きっと誰でもそうなんじゃないのか?と、私は思います。
問題は、
「そのひと」が、自分にとってどういう「そのひと」であるのか?
それだけですよね(^?^)
さて、
今回のオフで印象に残っているライトは、やっぱマクサビームでした。
あんなモノを使うシチュエーションってのが、貧相な私の想像力だとイマイチ思い当たらないのは確かなのですが、なんやかんやゆーて「明るさは正義」
ライトとしての性格こそ違えど、前にリオさんのご厚意で触らせて頂けたR2X OSTARやGatLightなんかと同じというか、
とにかく所有してみたいなと思うライトだと感じました。
まあ、アレです。ビンボーなんで宝くじでも当たらん限りは買ったり出来ないという悲しみを俺はどこにぶつければ?(--)
会場では、並べられて勝手に触ることが出来たほとんどのライトがhowa_saraさんとロヒチさんのモノだったような気もしつつ、しかし、ホントにいっぱい。
もうね、チカチカやってるうちに、なんかどっかマヒして諸々判断基準がおかしくなるくらい、まさに「これでもかっ!」みたいに並んでいたし、
人もいっぱいいたし、そもそも貴重なコレクションなんだろうしで、
こんな私でも大なり小なり人様の邪魔にならないよう、まかり間違っても取り落とすなんてな愚行を犯さぬよう、まあ、それなりに気遣いというか、遠慮めいたことも考えたりしてはいましたので、
あんま覚えて無いんスよね(^^;
とにかく「堪能したなあ」みたいな感覚と、
あと、それでも、
howo_saraさんのコレクションにあったペリカンの長めのヤツ(機種名不明(^^;)がめっちゃ使い易そうだったり、
やっぱりhowa_saraさんのコレクションにあったルマレイ(これも機種名不明(^^;;)のヤツが物凄く可愛かったり、
ロヒチさんのコレクションにあった改造MAGのいくつかに無性に萌えてみたり、
高演色ではないサンドロップも、それはそれで良さそうだなと思ってみたり、
たぶん走れメロンさんだったのかなぁ?携帯にフォトン型のこだわりキ―ライトを複数着けてらっしゃるのを見て、ちょっとマネしようかなと思ってみたり、 思ってみたので真似(追記参照)しちゃいましたm(_ _)m
景品でゲットなさった方から見せて頂いたトマホークと同メーカーのハンドルライト(nobさんが同じの持ってたハズ)を見せて頂いたり、
数人で色んな光色のライト並べて、どれが見易いとか綺麗だとか、そんな比べ方してみたり、
ファミレスでは何人かの方にEDC見せて頂いて、やっぱ、こう、ペタっと広めというか、フラットな照射で小型のモノが好まれる傾向があるんだな、みたいなことをひとり思ってみたり、
そういう記憶は残っていますm(_ _)m
それから、
思ったのは、ぶっちゃけ、皆さん寒いのつえーっスよね(^^;
私は、
上が、
モンベルジオラインのハイネックアンダー(しかもEXP)
メーカー不明のネルシャツ
エディバウアー550FPのダウン+フェザーのジャケット
下が、
アシックスのストレッチアンダー
モンベルのアルパインソックス
メーカー不明の防寒レッグゲーター
パンツこそ綿混のパラトルーパーパンツでしたが、
靴は、それこそ超防寒装備。ソレルのパックナイロン
そこに、ロゴスの安物合羽のパンツを防風にしてて、
んで、
グローブがメーカー不明のスエード+ボアのエスキモー
帽子がバックスキン
首にはモンベルのシャミースネックゲーター
しかもダウンのポッケには使い捨てカイロが二個
という、
なんなら標高3000メートル極寒活動中ですか?くらいの防寒装備だったのですが、それでもじっとしてればそれなりに寒かった。
確かに、私は私で異常な寒がりであると自覚するにやぶさかでありませんが、
けっこう「普段着」みたいなカッコで、あの吹きっ晒しの零下をほとんど運動することなく4時間も耐えるってのは、そーとー強いんじゃないだろうか?
とか、私は思うのですが、、、
どなた様もお風邪などめされていらっしゃらないことを勝手に祈っときますm(_ _)m
オフが終わって、
98kさんとふたりの帰り道。
川端「いやあ、堪能しましたね(^^)」
98k「楽しかったですね~(^^)」
みたいなことを話しつつ、当初はどこかで仮眠をとり余裕を持って帰る予定だったのですが、
ファミレスでred-bicycleさんに見せて頂いた予報では、薄いスジ状の雲が日本列島を覆いガッチガチの西高東低ではありつつも、前線は遥か太平洋の上。
積雪量を確認しても、その段階だと湿った空気は山脈に落とされているようなので、現在位置から西に向かう道程に大きな不安は感じない。
どうやら、我々が走るルートは歪ながらも積雪から逃げるカタチになるであろうと予想。
怖いのは、
峠と呼ばれる標高の高い部分で起こるであろう予想不可の局所的な積雪。こういうのは量も範囲も正確に予想出来ないので、
川端「ちょっと降ってきましたね(--)」
98k「ええ。しかし、朝までに帰り着こうと思うなら停まらずに走るべきだと思います。『通行止めになる前』に滋賀あたりの峠を越えるカンジが良いでしょう」
川端「なりますかね?通行止め」
98k「正直、わかりませんね。でも、可能性は十分あります」
自称「西日本で一番信頼できるナビ」(^^)
98k氏のお言葉と自身の天候予測が合致。我々は強行軍での帰阪を決定しました。
運転するのは私の役目。
どこでどうなったのかよく判りませんが、高速上、通常は川端号より遥かにハイペースで目的地までたどり着くことの多いred-bicycle号よりも川端号が少し先行しており、
98kさんは、仕事即のご参加、しかも朝までには帰らねばならないというred-bicycleさんを気遣っていらっしゃったのか、携帯で気象情報や道路情報を流しておられました。
そういうときは、素直に「このひと」はホントに良いひとなんだなと思ったりもしますね。
そうこうしている内に、車外の気温はマイナス4℃を計測。
そうでもなかったハズの雪が強くなり、やがて
↑ red-bicycleさんトコです。
最後のお写真で、なんとなく雪の状況がお判り頂けようかとm(_ _)m
さすがにワイパーが停まってしまうようなことこそありませんでしたが、
一時間程度でしょうか?雪の中を走るのはかなり久しぶりなので、どうやら緊張し、しかも寝不足の私は集中力の途切れを感じ始めます。
今回は、人様の命も一緒に乗っけてるワケで、意地でも事故なんぞ起こすワケにはいかない。まあ、ひとりでもぜったい嫌ではありますけれど。
川端「98kさん。えーかげん疲れてきました。つか、目がヤバいです(--;」
98k「では、休憩しましょう。少し休んで、それでも無理ならあきらめて寝ればいいですし(^^)」
川端「そーします。。。次のSAで」
98k「次は、、、えーと、○○SAですね。あと、だいたい20kmくらいです」
で、SA
そのだいたい20kmとかって距離の内に吹雪を抜けてしまい。雪なんかほとんど感じないほどの天候に。
とりあえず用足しとか飲み物の補給とかに出るのですが、吹雪いてはいなくても、やっぱ、すげー寒い。目なんか一瞬で覚めまくり(^^;
98k「平気ですか?」
川端「もうすっかり。おまかせを(^^)」
てなモンで、まんま再出発。
その後は、こう、峠を越えたというか、再び吹雪の中を走ったりもするのですが、あんま苦に感じることも無く、それこそ順調に峠を越え、
最終の高速、大阪で都市高速への分岐にて、
とつぜん、
98k「ああっ!川端さんっ、そっちじゃありませんっ!!」
川端「え?え?え?マジですか?」
てんで、「西日本で一番信用できるナビ」の指示通り分岐をスルーすると、
98k「ああ、、、しまった。あっちでよかったですよ。。。最後の最後に、ああ。。。」
川端「マジすか?(^^;」
とりあえず、次のインター降りるのですが、、、
98k「兵庫ですね」
川端「ええ。兵庫ですよ『西日本で一番信頼できるナビ』その名も98kさん(^^)」
98k「このままwingさんトコ行って朝食でもごちそうになりましょうか?あは(^^;」
川端「嫌です(--)」
とかなんとか、
そんなに遠回りってワケでも無かったので、そんなに時間的な遅れも無く、我々は98k邸に無事到着(^^)
98kさんの荷物降ろして、お互いに「ありがとございました」っつって、
私はひとり大阪ディープサウスの我が家へと。
こうして、我々がやるようなキャンプや探訪を兼ねるライトオフとはまた違った楽しみ方の、それこそ「ガチ」のライトオフ初体験はおしまい。
キャンプや探訪を兼ねるライトオフも楽しいですし、個人的には、やっぱそういうオフのほうが肌に合っていると感じるのですが、
やっぱ「ガチ」は「ガチ」
こういうのも「アリ」だなあ、と。
気を遣わなかったといえば嘘になるし、やはり初対面の方が多ければ警戒もするし、おとなしくもなる。
もしかすると、どこかの瞬間、どなたかの目には川端のテンションが低く見えるようなことがあったのかも知れませんが、
素直に、すげー楽しかったです(^^)
おしまいm(_ _)m
2011.01.22.追記
むっふっふ。モノは違えどプロットみたいのはそっこー真似( ̄ー ̄)
やっぱ、ひと様のアイテムは色々見せて頂くものですな(^^)v
マイナス2℃の明るい世界 [ライト関連]
戦場。
それは統制された暴力とそれを支える狂気の吹き溜まり。
その手を紅蓮の炎に焼き鮮血を浴びるのは、お前達だけが正義なのだと導かれた黒い羊の群れ。
そこでは、
ほんの少し残された理性だけが良心と呼ばれる。
記念撮影(^^)
98kさんが
「寒い(--)」
とマジにつぶやく姿を、今回私は初めて見たような気がしますm(_ _)m
ああ、そうそう。最初の文章に意味はありません。そういう体で書こうかな?みたいなことを思って書き始めた残骸です(^^;ゞスミマセン・・・
てなワケで、
1月15日の土曜。
それは、この冬一番の寒波だという予報らしい夜のこと。
名古屋市にある明徳公園にて「ライトマニアのオフ」が開催されていました。
いやあ、心底カルチャーショックというか、
森のプ~さん家でも、ある意味「マジか?」くらい色んなライトが並んでいましたが、あれに張るっちゅーかあれを超えるっちゅーか、
つか、howa_saraさんとかロヒチさんとか、
「ホントマジありえねー(^^;」
くらいのイキオイで、希少だったり貴重だったりトンでもなく明るかったり、とても優秀なライトを、しかも多数所有していらっしゃいました。
それでも実は屋外へ持ち出してきた「コレクションの一部」なんでしょうからね。。。
なんちゅーか、強烈な「懐中電灯感」
良い目の保養でしたですね。
めちゃ堪能してきました(^^)
総勢は18名ということであったので、そこから記憶を頼りにご参加の皆さまを数えてみると、
01.ホストのhowa_saraさん
02.shintaさん
03.ロヒチさん
04.走れメロンさん
05.しぶーのさん
06.しぶーのさんの奥様
07.mo10さん
08.McGizmo SunDrop 日亜の光演色ではない3Sを首から提げてらした方
訂正ですm(_ _)m
07.mo10さん
が、McGizmo SunDrop 日亜の光演色ではない3Sを首から提げてらした方だったような気がしてきました(^^;
んで、
08.確かハンティングのお話をしておられた埼玉神奈川からいらっしゃったという方
09.NiteCore の Defender Infinity だったかな?そういうカタチのライトを概ねEDCにしていると仰っていたもの静かな方
10.INOVA の SMART BRIGHT を首から提げてらした岐阜からいらっしゃったのだという方
11.東京からスーパーカブで来られたのだという方
12.我々とは別途大阪から来られたのだという方
13.赤色レーザーの測量器を持ち込まれていた方
14.自己紹介で自転車用のライトがメインだと仰っておられた方
15.たぶん私とは一度も言葉を交わさなかった大柄の方
そして、
16.98kさん
17.red-bicycleさん
18.川端
正直、、、
一気に15人も初対面でのイベントでしたので、どんな方がいらっしゃったのか、どの方とどんなお話をさせて頂けたのか、非常にあいまいな記憶でしかありませんが(^^;マチガイガアッタラゴメンナサイ・・・
恐らくこんなカンジのメンバーだったのでは無かろうか?とm(_ _)m
いやあ、あんだけ集まりゃ、なんちゅーかもはや「なにか準備集合」的な集団とでも言えば良いのか(^^;
ぶっちゃけ「懐中電灯系」なんてなどー考えても奇天烈のひとばっかりで18人も集まっているなんてのは、まあ、滅多に見られる光景では無いのだろうと私は思います。
コレクション陳列のテーブルやシートスペース有り、遠近の照射環境有り。
公園なのでトイレも完備されていて、
かつ、防寒対策として使い捨てカイロやホットコーヒー配布の準備もされており、
果ては、ビンゴゲームでライトが当たる抽選会までありましたという(^^)
素直な感想として、
ホストでいらっしゃったhowa_sara氏の周到なご準備や、
あるいは計画時から氏にお力添えであったのではないか?と予想されるしぶーのご夫妻のご助力、
また、抽選時や移動時などかいがいしく動いていらっしゃった、恐らくは会場近辺ご在住の方々やオフ仲間でいらっしゃるのであろうご親切な皆様のご協力の賜物であったのでしょう。
イベントとしてとても充実しており、
ぶっちゃけ、我々「関西組」のやるキャンプや探訪兼のオフよりも「懐中電灯オフ」として遥かに充実なさっていたと私は思いますm(_ _)m
まあ、あのG3さんをして「ライトお化け」と言わしめるhowa_saraさん筆頭に、だいたいからして集まってるライトの質やら数が違うわな。
とても書き切れるような数ではありませんでしたが、
MAG、SUREFIRE、INOVA、PELICAN、FENIX、NITECORE、HDSなどなどなど、パッと思い出せるようなメーカーのハンディライトはもちろん、
トマホークとかFoxFuryとかそういうL型だったりヘッデンだったり、
改造品やMCGIZMO器なんかも色々あって、
極めつけというか、生まれて初めて生で見たマクサビームは2器ありましたよ、と。
景品含め、皆様がシートやテーブルに並べておられたライトだけでも、
ざっくり勘定で、なんと約120本(^^;マジデ・・・
ちなみに、
これがred-bicycleさんの持ち込まれたライト群。こちらはシートやテーブルには並びませんでした。
そんなカンジで、各々がお手元に持っていらっしゃったライトなんかも併せて200まで数え、アタシはカウントすることを諦めましたm(_ _)m
さらにちなみに、
その200に川端自前とこの写真のred-bicycleさんのライトは含まれていませんでしたとさ(^^;;
当初集合は20時30分が予定。
しかし、98kさんと私、そしてred-bicycleさんが到着した19時30分頃には、ホストのhowa_saraさん始め既に何名かの方が集まっていらっしゃいました。
時系列で、
20時30分を過ぎ、21時に近い頃、抽選でライトを頂けるという素敵ビンゴが始まり、
ビンゴ終了から、自分のライトを点灯しなくても全く足元に不安を感じない暗闇の中を移動。
そして、
「ここはじゃんがら横か?」
とどなたかが呟いておられた、照射場所にて皆さまがコレクションしていらっしゃるライトを実際手に取って試せるという、これも素敵イベントが開始されたのが、恐らく22時を過ぎた頃。
howa_saraさんのマクサビーム。
そして、確かもう1器はロヒチさんのだったと思います。
私如きでは見たこともないような「化け物」2器による照射。
これにもし人が照らされると、
こーなります(^^;チナミニ、マトハシブーノサン・・・
閑話休題
懐かしくね?(^^)
こちらのMAGは廃番の6Cにトンファーグリップ。しぶーのさんのライト。
この類、私は大好きでした。
ところで、、、、
マクサの2灯に照らされるしぶーのさんのお姿が、ゴーストバスターズに退治されるマシュマロマンみたいに見えていましたって書いたら、
私は次お会いしたときコイツもしくは素手で撲殺されるのでしょうか?(^^;イノチハオシイ。ダガソウオモッタノデスヨ・・・
さて、
多少人数を減らしつつも、しかし深夜を過ぎても素敵イベントは継続で、
まあ、皆さんですが、私自身人様のライトを色々手にとって、照射しちゃああーでもないこーでもないと堪能していました。
そして、
01時の少し前に照射イベントは終了。この時点での気温はマイナス2℃(^^;サムカッタノネ・・・
数えた限りでは、この段階でメンバーが14人になっていました。
屋外イベント終了後は、近くのファミレスへ移動。
確か、
howa_saraさん
shintaさん
ロヒチさん
しぶーのさん
しぶーのさんの奥様
McGizmo SunDrop 日亜の光演色ではない3Sを首から提げてらした方
NiteCore の Defender Infinity だったかな?そういうカタチのライトを概ねEDCにしていると仰っていたもの静かな方
あと、98kさんとred-bicycleさんと私。
だったと思います。
最初ファミレスに集まったのが10名で、
食べたり飲んだりしながら、急に暖かい環境になったせいなのか眠くなり始めている方もいらっしゃったようで、わりと静かにライトやその他のお話をしていたように思います。
また、私自身も疲れてきてたというか、だんだん眠くなり始めており、あと、なんか急に胃がキリキリいいだしていたので良く覚えていないのですが、
皆さんのEDCはなんですか?みたいなことだったり、
なにしろ98kさんは食い過ぎだとかred-bicycleさんは糖分摂り過ぎだとか、
しぶーのさんの奥様は98kさんのブログを気に入っていらっしゃるとか、
そんな話をしていたような気がします。
んで、景品の余りをじゃんけんで分けたりとかして、
その後、先に帰られたのが2名(たぶんしぶーのさんご夫妻)で、その時だったかその後だったか1名の方がご参加なさり、
「関西組」の我々は、天気予報で衛星画像とか気圧配置とか積雪予想とかを確認して「帰れる」と判断。
確か3時前頃に退場。
前が見えなくなるような、つか実際ほとんど見えなくなる吹雪に2回ほど見舞われながらも、なんとか交通規制に掛かる事も無く高速道路を走破。
大阪98k邸着が07時30分くらいだったと思いますm(_ _)m
しょーじき、
今回のような参加の仕方、というか帰り方は、私みたいな脆弱野郎には強行軍だったですけれど(^^;
それでも、「疲れた」というよりも「楽しかった」という印象が強いです。
私の見たhowa_saraさんは、なにかとハッキリ物を言う印象で、しかしとても紳士的で、また、非常に気さくで親切な方でした。
以前からご交流頂いております98kさんred-bicycleさん、そして大なり小なり今回ご縁を賜ることが適いました皆様にはもちろんのこと、
特に、ご準備やご連絡等身を砕かれホストをなさったhowa_sara様に感謝を。
数時間、日帰りのオフだったとはとても思えないほど内容の濃いオフだったと感じます。
私自身は、キャンプや探検のような懐中電灯以外の楽しみが無かったとしても、それでも、ただ単純に懐中電灯で遊ぶのは楽しいなあ、と再確認させて頂きました(^^)
ありがとうございました。
またいつか、
ぜひ、どこかでお会いすることが適いますようにm(_ _)m
地獄変相ノ墜 [ライト関連]
制覇(--ゞ
そして、
次はお前だ(--)
なんのこっちゃわからんと思いますが、
とにかく、次にオフをやったらこの春雨スープにトドメ刺しちゃらんといけんのですよ。
ええ、必ず(--ゞ
みんなしてred-bicycleさんから頂いた素麺バチ。
まだ食卓に並びませんが、妻がたいへん喜んでおりました(^^)
で、
最終体調を崩していたので実はよく覚えていませんが、wingさんからは「やたら吸水の高いタオル」ってのを頂戴し、
先にご紹介申し上げさせて頂いておりますが、Higuさんからはお土産とUK-2AAAeの改造品を奪取(--ゞ
まずは皆さまのご厚意に感謝を。
ありがとうございましたm(_ _)m
さて、
オフの報告はもう終わっているのですが、
今回の耐寒キャンプ「地獄」オフにて、ですね。
脆弱の駄犬ことワタクシ川端は、
2006年05月:熊野①(リアルライトマニアと遭遇?オフ)
2006年08月:梅田①(ビアガーデンオフ)
2006年10月:白馬①(実体化してお礼を言おう雨天決行オフ)
2007年04月:友ヶ島①(小さな冒険①島流し要塞探検オフ)
2007年05月:熊野②(オーストラリアのじょしこーせー歓迎キャンプ)
2008年01月:紀ノ川①(小さな冒険②厳冬耐寒オフ)
2008年01月:梅田②(イングリッシュバーオフ)
2008年05月:熊野③(子連れ①ボーイスカウトモドキキャンプ)
2008年06月:新潟①(小さな冒険③大沢鍾乳洞イタリアンオフ)
2008年09月:奈良①(子連れ②女性陣に召使いにされるキャンプ)
2008年12月:屯鶴峰①(小さな冒険④旧日本軍地下壕MC-E祭オフ)
2009年02月:紀ノ川②(お試し感謝祭つきMAG-DSオフ)
2009年05月:熊野④(子連れ③なにもしないキャンプ)
2009年12月:和歌山①(リアルイタリアン歓迎ロッジキャンプ)
2010年04月:紀ノ川③(バリアフリー歓迎夜間射撃オフ)
2010年05月:熊野⑤(子連れ④自分の身は自分で守ろうキャンプ)
2010年06月:友ヶ島②(小さな冒険⑤荒天島流し弱肉強食雷神オフ)
2010年10月:梅田③(懐中電灯アママジ合同マジックバーオフ)
2010年11月:梅田④(イングリッシュバーオフ②)
2010年12月:奈良②(オートキャンプ「地獄」オフ)
なんとなんと、
めでたくオフ参加の20回を数えましたっ!\(^^)/
ちなみに、
その内宿泊を伴うオフは、なんと14回。
参加中70%が泊まりがけって、それはホントにオフなのかってーカンジですよね(^^;
白馬のキャンプ場で初のガチライトオフ、
友ヶ島の史跡要塞探訪、
熊野キャンプはもはや恒例、
紀ノ川の河原では耐寒や射撃に興じ、
新潟では森のプ~さんの家まで押しかけ大沢鍾乳洞を探検、
奈良のキャンプ場では98kさんのご指導で娘が泳げるようになり、
和歌山のロッジではイタリア人青年を見てヲタの国際化を実感し、
そして今回の「地獄」
2006年10月の白馬が初の宿泊オフなので、
丸四年とちょっとで14回ということは、年間3~4回は泊まりがけで行ってる計算になるワケですよ(--:
まあ、単なるキャンプみたいのも含んじゃうので、
全20回の内、私が独断と偏見で「ライトオフだった」と判断しているのが17回。その内での宿泊は11回。
オフそのものの年間参加回数分布は、
2006年に3回
2007年に2回
2008年に6回
2009年に3回
2010年に6回
これをライトオフに絞ってみると、
2006年に3回
2007年に2回
2008年に5回
2009年に1回
2010年に6回
ライトオフかつ宿泊の分布を見てみると、
2006年には1回
2007年には2回
2008年には3回
ここまで順調に回数を増やし、
2009年に1回と激減し、
2010年。すなわち今年には4回と増加(^^)
この結果を見てみると、
2006年の始まりから2007年2008年と私自身が順調に懐中電灯オフ熱を上げており、
2008年にそのピークを迎え、
2009年はダメな年。
だったのではないか?みたいなことが、なんとなーく見えてくるような気がしますね。
今年、2010年が活発なのは、
まずは、4月にalaris540さんが来阪されてオフとなったこと。
また、今回の「地獄」でHiguさんにご参加頂けたこと。
そして、
なによりも5月に熊野でred-bicycleさんとお会いできたことが大きく影響していると思われます。
たった半年ほどですが、
私自身、熊野・友ヶ島・地獄と既に三度ご一緒させて頂いており、
都合上参加はできませんでしたが、98kさんwingさんred-bicycleさんのお三方は遠路九州遠征にも赴いておられましたm(_ _)m
宿泊を除いても、
梅田のビアガーデンとかバーとかでチカチカやってみたり、手品観に行ったり、
アウトドアショップやらミリタリーショップやらあーでもないこーでもない言いながら回ってみたり、
山ん中まで旧日本軍の地下施設とか探しに出かけてみたり、
ホント、
この数年、オフだけでも色々なことをさせて頂いてきたような気がします。
いやあ、楽しかったなぁ(^^)
素直に、
98kさんやwingさんは、私にとって特別です。
たとえ年齢は離れていようとも、私からの一方的なものであるのなら、その存在は既に実体を伴う実名の友人であり、
感覚的には、学生時代からの友人と変わらない、ある面それ以上であるのかも知れませんm(_ _)m
そのお二方と度々御一緒させて頂いてきたキャンプでは、
98kさんのお知り合いである多くの方々と、特に申し上げるならワンテン様ご一家とお会いすることが適い、
また、
もしもまかり間違ってHNなど漏れてしまっていたら申し訳ないのですが、
オフと称して実体化し、幸運にも御一緒賜る機会を頂戴出来ましたのが、
hrykさん、G3さん、TOMOさん、交通課長さん、いなばさん、二日酔いの猫さん、森のプ~さん、magicom-Xさん、二日酔いの猫さんのご同僚さん。
そして、今回「地獄」ではHiguさん。
オフを離れても、
懐中電灯趣味的に恩人というか、大きくご助力頂けた方々でいうなら、
もう時系列や記憶があいまいなのですが、たぶん、Ticさん、RUUさん、リオさん、カトキチさん、monozofさん。
かつて「川端」が「びぎなーずらっく」であった頃「理想的な懐中電灯が欲しいです」みたいなことを書いた掲示板に最初の返信を頂けたのがbelyoさんという方で、
そこに的外れや間違いを書きまくっていた、恐らくかなりウゼェであろう私を、それでも真面目に相手して下さったのが、TKさん、げこすさん、JNJさん、尭さん、M20bさん、silverさん。そして管理者のbonさんと名乗っていらっしゃった方々。
その他、文字や画像で、
掲示板上で関わったり、ブログにコメントを頂戴したことのある方々。そこには一度きりの方も。
スカイプでお話しさせて頂いたことがあるのは、
これも記憶や時系列があいまいでたぶんですが、docさん、タイガーさん、ロヒチさん。くらい、、、かな?(^^;アンマオボエテネーヤ・・・
また、
今回は98kさんやwingさん同様とさせて頂くことをご遠慮申し上げましたが、
というか、、、
ワタクシそんなに「人間的魅力」みたいな意味に於いて自信に満ち溢れて無かったりするので(^^;
「最近疎遠ジャン?」とか「そんなに親しくなってねーよ」みたいに返されてしまうと非常に悲しいのですが、、、
懐中電灯趣味的に大恩人でもあり、メールやスカイプでも、何度か実体としても御一緒させて頂いているcinqさんも、
なんなら親鳥みたいなモンですね(^^;やはり私にとっては特別な存在であり、
手前勝手、むしろ無礼なのかも知れないと承知ですが、
白馬、友ヶ島、新潟と何度か実体として御一緒させて頂くことが適い、また、懐中電灯趣味でもご助力を賜ってきたnobさんも、
友ヶ島、新潟、そして遠路ご来阪賜りバリアフリー展や紀ノ川でのオフで御一緒させて頂くことが適いましたalaris540さんも、
熊野がご縁で、友ヶ島、「地獄」と、ここ半年ほど楽しいお時間を賜っておりますred-bicycleさんも、
厚かましくも私からの一方的なものであるのなら、
もはや我々は友人なのではないだろうか?とm(_ _)m
2005年の3月19日。
それは、私が生まれて初めてハンドルネームなるものを持った日です。
そもそもパソコンに関してはエクセルくらいしか触る事の無かった私から見れば、
それは「考えたこともなかった」選択肢でもありました。いや、まあ、実際名乗ったんだから寸前には考えたんでしょうけれど(^^;
その日から、今日只今に至るまで。
嫌な思いなど一度もしなかった。関わったひとが、出会ったひとが、ひとり残らず皆が皆とても良いひとだった。
とは、
どーしても思えませんm(_ _)m
時には「二度と関わりたくねーな(--)」みたいなことを思ったような気もします。
まあ、それは、たぶんアタシがそう思った瞬間、きっと相手様からも恐らくご同様。お互い様かと(^^)
文字や画像のみから始まって、物品や金銭のやり取りなんかがあって、
まあ、そういうの無くても、
やがて実体化して「見知らぬ知人」として同じ時を過ごし「知人」となり、
やがて「友人」へ。
中には、たった一度の文字のやり取りで終わる関係もあるけれど。
思うに、
そういう関わりの中で手にしてきた知識やモノは、私にとってとても価値あるものでした。
これは絶対。
現に、イマの私は、
その当時には想像だにしなかった人間関係とモノに囲まれ、
その当時には出来なかった、あるいは出来ないと思っていたことが出来ています(^^)
しかし、、、
ふと、考えるんですよね。
続くのか?
あるいは、いつまで続けられるのか?
今まで懐中電灯絡みで得てきた、経験してきた、その全てが私にとって紛うこと無き「財産」であることを否定しませんが、
しかしそれは、私にとって、いまは普通に、なんなら当たり前として享受している「小さな幸福」の一部に過ぎず、
ともすれば、
生活に追われ、面倒だ、くだらない、もう飽きたと自ら切り捨ててしまう時が来るのかも知れません。
あるいは、
気がつけば、私だけが其処に生きさらばえてしまうのかも知れない。
そうならないという保証は、きっと誰にも出来はしない。
いまは大丈夫でも、この先いつまで大丈夫なのかは誰にも解からない。
けれど、
今日まで、確かに私は多くの「誰か」のお世話になり、色々なものを得てきた事実はもう変わらない。
だから、
だから、今日まで関わってきた皆様に心よりの感謝を。
本心です。本当にありがとうございましたm(_ _)m
まあ、今日はクリスマス。
信教っちゅーか、由来や本来はともかくとして
世界の多くの場所で多くの人が、
「あなたが好きです。感謝しています」
と、素直に伝えて良い日だと認定していると思しき日であります(^^)
いま貴方の傍にいるひとに、傍にいなくても好きなひとに、
好きなひとがいないんなら、いままで世話んなった誰かに、
シャレてみたり、カンジの良い言葉を探すのは難しいかも知れませんので、
自己満足だ偽善だ体裁だなんだ、そういう難しいことはとりあえず置いといて、
「ありがとう」
ってなことを言ってみると、なんだか幸せな気分になれるのかも知れませんね。
保証はしませんけれど\(^^)
最後になっちゃいましたが、
既に19回もオフ、というかもはやそれはオフなのか?みたいなお付き合いを賜っております98kさんwingさん。やはりお二人には特に感謝を。
「ありがとうございます」
また行きましょうm(_ _)m
やがて何年、何十年という未来になって、
もしもまだ私が生きていたなら、というか、順番からいうとおふたりが御存命であったなら:p
こういうの、いままでブログに書殴ってきたような「楽しい」が、
それでもそこにある「小さな幸福」であればいいな。と、私は思います(^^ゞ
まあ、その、アレっすよ。
気持ちワリィとかゆーな(--)
確かに、なんちゅーか、書き終わってみて、我ながら「どうにも気持ちワリィこと書いたなぁ」みたいなカンジは確かにあります。いや、まあ、本心ではあるんですけどね(^^;
けれど、
これで私は、いまちょっとだけ幸せな気分ですな(^ー^)
以上ですm(_ _)m
地獄変相ノ漆 [ライト関連]
其ハ輪廻ノ奈落
其ハ灼熱ノ責苦
其ハ冷酷ノ支配
其ハ永久ノ苦痛
其ノ名ヲ
「地獄」トイフ
輪廻の奈落とは、仏教に於ける六道の最下層「地獄道」
灼熱の責苦とは、イスラム教に於ける左側(アラーを信じない)に属する者達が終末の審判後に責苦を受ける「ジャハンナム」
冷酷の支配とは、北欧神話に於けるロキの娘で下半身腐乱の女神ヘル"Hel"が支配する死者の国「ヘルヘイム」
永久の苦痛とは、あくまでも概括的なキリスト教概念に於ける"Hell"「永遠の地獄」
上記以外にも多々。世界には実に様々な「地獄」が、、、
とか書きたいところなのですが、これが、あるといえばあるし、無いといえば無い。みたいなカンジなんだと思うんですよね。
ものすごーく大まかな解釈に過ぎないのですが、
現存し大きな勢力を保っていたり、あるいは有名だったりする宗教は、
バラモン・ヒンドゥー・ゾロアスター・仏教など的「ヴェーダの宗教」からの流れ。
ユダヤ・キリスト・イスラムなど的「アブラハムの宗教」からの流れ。
また、オリュンポス・北欧・ケルト・スラヴ・シュメル・マヤなど、あるいは南北アメリカ・アフリカ・オーストラリア大陸に於けるネイティブアメリカン・アフリカン・アボリジニなど土着系というか、要するに「ヴェーダ」や「アブラハム」の流れに滅ぼされたり吸収されてきたパンテオン。すなわち「神話」にまつわる流れ。
アジア大陸なら儒教・道教・陰陽とか、日本なら神道・修験道など、そういう極東発展の宗教の流れ。
みたいに大別できると思うんですよね。
結局、数多ある宗教と呼ばれる思想ってのは、
それらが分離・派生したり、一部もしくは大部分融合したり、更にはそのそれぞれに対するバックラッシュ的発生のものが多種多様に存在しているようなイメージなのではなかろうか?と。
そもそも「地獄」という概念は、
紀元前3500年頃成立といわれている古代メソポタミアの文明にまで遡るものであるのだとか。
メソポタミアに興った文明群は世界最古、もしくはそれに近いと考えられており、故に、現存する多くの宗教の源流となった思想発祥の地でもあると考えられています。
だから、
それを持つ宗教思想にあって「地獄」は、多くの類似点を持った、ある意味共通のコードとして機能している。
しかし、
だからって全ての宗教に最初から「地獄」が存在したって訳でも無いようで、
古代エジプトの神話では、
死後、人は女神ジャスティス(ギリシャ神話のテミスもしくはローマ神話のユスティティア)の原型だと考えられる女神マアトの左手に在る天秤に心臓を乗せられ、もう片方に乗せられたダチョウの羽と重さを比べられると考えられていたのだとか。
マアトの持つ(髪につけている)ダチョウの羽は真理の象徴であり、過去に悪行を為した者の心臓はこの羽より重い。
天秤が心臓側に傾くと、その心臓はアメミットというキメラに食べられてしまい、死者には「二度目の死」が与えられ、その魂は消滅してしまうのだそうです。
すなわち、
そこに罪人の逝く世界、「地獄」は存在していない。
以前 「波羅葦僧」 という記事で少し触れていますが、
神道、まあ、現代神道はよく解りませんが、基本的には神道にも「地獄」の概念がありませんでしたし、
仏教やキリスト教、あるいはその他の様々な宗教宗派でも「地獄」の登場はその根本思想発祥より後であり、あるいはそもそも存在しなかったにも関らず他の思想から抽出され取り込まれた場合も多いと考えられているようです。
ならば。
ならば、ですよ。
なぜ人は「地獄」なんてな厄介な概念を創り出し、あるいはそれを自ら取り込んでしまったのか?
それはいわゆる「七つの大罪」
傲慢、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、暴食、色欲。
別に罪じゃなくて業とか煩悩とかでもいいですけれど、
「地獄」ってのが、とにかく罪や業や煩悩、すなわち「良くないこと」の結果として裁かれ突き墜とされる場所であるとするならば、
しかし人は、
身の丈を超えるほどの自信を持たねば生命力を失い、
他を羨み妬まねば何も生み出せず、
心底怒らねばどれひとつ変えられず、
全てを弛緩せねば己を癒すことも出来ず、
強く欲さねば得られず為し得ず、
時に過ぎるほど食わねば育たず、
目合わなければ、滅ぶ。
それらは恐らく人にとってデフォルト装備であり、
考えようによっては「なくてはならない」とも言える。
なのに、何故?
なぜ人は「地獄」などという荒唐無稽な人工の概念を以ってそれらを抑制しようと試みなければならなかったのか?
さて、
朝のメニューは、
鍋の残りに、うどんでした。
この時だったのか、この後のことだったのか、あるいは昨夜の出来事であったのか、
ちょっと定かな記憶では無いのですが、寒い上にガスの残量が乏しくなってきたとかで、火力が下がってたらしいんですね。
で、少しボンベを温めれば火力が上がるんだとかで、
写真だと恐らく安全な範囲なんですが、このボンベをバーナーの火にかなり近づけるという裏ワザが披露されたんですね。
「えー?だいじょうぶなんですか?吹っ飛んだりしませんか?」
「だいじょうぶだいじょうぶ。
いままでに何回もおんなじことしてますから(^^)」
「いままでは知りませんが、いま、だいじょうぶじゃないかも知れないじゃないですか。
やめませんか?(--)」
「まあまあ、そんなに神経質にならなくても(^^)」
「しかし、破裂したら底かアタマが抜けるワケでしょ?
直撃食らいそうな位置に居るのはアナタだったりしますが?」
「え?それはヤだな(^^;」
「でしょう?」
「だから、だいじょうぶだっていってるでしょーが(#^^)
本当にいく度となくやってますから。危険はありません」
高圧力で圧縮されたガスは、解放され気化するとき気化熱を持って行く。
そうすると、ボンベ内部はガスの放出と共に温度を下げる。どの程度だか数字では知りませんが、かなり。
だから、直火にでも触れさせるような無茶をしなければ、あるいは極端な熱伝導をボンベに与えるようなことをしなければ、そうそうボンベが炸裂してしまうような事にはならない。
なんとなくの知識から、確かに私もだいじょうぶなのだろうと考え引いてみたものの、、、
・・・得心いかねーなぁ(--)・・・
イヤな予感とでもいうのか、基本的に小心者であり臆病な私は、どうも、こう、なんか気持ち悪いワケですよ。
だから、目はボンベにくぎ付けになる。
で、じぃーっと一点見つめに集中していると、
カンっ!
金属の変形する乾いた音が響き渡る。
「うわっ!うわっ!カンいいましたよカンてっ!!(^Д^;アワワアワワ・・・」
「いやあ、まあ、だいじょうぶでしょう(^^)」
「もはや明らかにだいじょうぶじゃねーよっ!(#^^;」
まあ、さすがにその後ボンベは火から少し距離を置かれ、なんやかんやゆーて結局は事故も無く。
小心者の杞憂は杞憂に終わり、我々は朝食にありついたワケなのですが、、、
けれど、これ、この出来事。
どこかでなにかを間違えていたら、誰かがケガをしていたのかも知れない。
いや、あるいはもっと重大な結果にならなかったという保証はどこにもないのではないか?と、後からですが私は思ったんですね。
ふとした油断が、勘違いや思い込みが、楽しいはずの時間を一瞬で悲劇に変える。
そして、起こってしまった悲劇は決して無かったことにはならない。
事故ってのは、たぶんそういうものなのではないかと私は思いますm(_ _)m
ケガしてもつまんねーですからね。
やっぱ、なにを置いても「安全第一」かと(^^ゞ
さてさて、
オフ最終のフィールドワーク(?)は、
渓谷の散策でありますな(^^)
あんま時間も無かったんでちょこっとだけの道程ではありましたが、
まあ、、、どーだろ?
・・・「注意せぇ」と言われてもなぁ(--;・・・
みたいな、
まあ、あんま地震や大雨の時には近づきたくない、アブねーっちゃあアブねー場所と言えなくもない、、、かなぁ?
みたいな遊歩道でした。
アタシ如きの写真だと、なんならデケー植え替え前の盆栽みてーですが(^^;
この根が浸食され削り取られていく岩盤を抱え込み守ったのであれば、その力強さは畏怖すべきものだと思われました。
ナラやカシ、クヌギなどだと思います。それらの種子、すなわちドングリが密集的に成長し複合されたと思しき巨木。
長い長い時間を掛けて互いが互いを吸収しあい融合することで、たとえ岩に引き裂かれ傷つこうともそれを治癒し成長し続けるソサエティは、
まさに生命の塊。
あとは、
こんなカンジでm(_ _)m
途中洞窟というか、岩盤の浸食みたいなところへ潜り込んでみたりしつつ、
散策は終了。
取って返した我々は、
よーやく、今回のメインイベントとも言える「地獄」を体験(つ△T)ナガカッタ・・・
ちなみに、
決して食べ物に詳しくないワタクシ、「地獄だき」とか「五島うどん」なるものの予備知識はまったくありませんでしたので、
ぢつは内心。
「なんだ、よーするに細うどんの釜玉なんじゃねーか(--)」
くらいのイキオイで箸を進めると、
・・・うをっ!うめぇっ!!(゚∀゚)・・・
食べ方というか、シチュエーションってが、まあ、あります。確かに。
けれど、試しに卵しょうゆ無しでつまんでみると、
どっちかっつーと細いうどんというより太い素麺みたいな、それでいて決して素麺のように淡白なカンジのしない独特の歯ざわり、そして、これも独特というか、いままでに知らない甘さを含んだ塩気。それから正体の判らない旨み。
麺そのものが関西でいう麺となんか違うという。。。
いや、まあ、さっき普通のうどん食ったばっかなんで(^^;ヨクワカルトイウ・・・
自他共に認めるであろう小食、かつ不調を感じ始めていた私は先に箸を置くのですが、
顔を上げて見回せば、
皆さん(というか98kさんとHiguさん、特にHiguさんだったような気がしますが、、、)
狂ったよーにお代わりしてはずるずるーっと、それはもう、あっちゅーまに無くなってしまうイキオイで消費されていきましたとさ(^^;
んで、
食後は撤収。
当然タープが最後になるんですが、
ああ、そうそう。今回は私がタープ担当でしたm(_ _)m
湯気で結露したタープの天幕を「あとが大変でしょうから(^^)」とまったく同じタープを持つwingさんが、業務用スーパーで買ってきたというやたら給水の良いタオルで丁寧に拭いて下さり、
その後、皆で撤収m(_ _)m
撤収が終わって、
まるで何事もなかったかのようにがらんとしてしまったサイト。
「次はちょっとだけガチなケイビングを」
「北陸へエビを食べに行きましょう」
「関東のオフへも行ってみたいですね」
「5月には熊野で」
などと交わす言葉は、
要するに
「また会いましょう」
相乗りで来られた4人の方々を、なんだか寂しいような、とても名残惜しい気持ちで見送り、
私は、ひとり車を走らせ家路へと。
こうして、
私の「地獄」オフは終わりましたm(_ _)m
地獄変相ノ陸 [ライト関連]
今回オフを行ったキャンプ場。
なにが素晴らしいって、
お湯が出ます。湯気写ってませんけれど(^^;
シャワー付きってのは何度か見たことがあるのですが、洗いものするところでお湯が出るってのは、ワタクシ初体験と書いて甘美な響き。
なんちゅーか、こう、私は雑然と積み上がった食器の汚れものが綺麗になって整頓されていく様が好きで、家でもだいたい洗いものは私がやるんですね。
もちろん家事ですからほぼ毎日やることになってしまうので、正直心底じゃまくさいと思うことも多々ありますが、
それでも、ヘッドフォンで、わりと大きめの音で音楽聴きながら、ひたすら音と洗いものに集中する時間って、かなり好きな時間のひとつではあります(^^)
けれど、
冬のアウトドアで洗いものって、素直に冷たさで手が辛いので、まあ、好きでは決してない。むしろ苦痛なワケです。
そこで、
お湯ですよ(--)
コレは、もう、なんちゅーか、
私のためにある設備(^^)bグッジョブダキャンプジョウ・・・
だもんで、
「しずっかぁ~にぃー しずっかぁ~にぃー♪
まくぅはぁきりおっとっしぃい~♪
かくっせいのぉ よあっけぇにぃ♪
あーおいーほぉ~のぉお~~♪」
なんつって口ずさみながら、機嫌よーく洗いものに興じておりますと、
こう、だんだんと、ですね。
音楽への集中と共にテンション上がってくるもんで、
ちょっと、こう、カラダにも影響が出始めて、軽く踊りだすワケですよ。上機嫌だから。
んで、かなりノッてくると、ターンとかしてみるんですね。
そーすっと、
回った拍子に後ろを通った他のサイトの方と目が合ってみたりとかするという出来事が、、、
朝の6時手前のキャンプ場。と。。。orz
そんなワケで、
どこのどなたか存じませんが、ごめんね不審者で(^^;スミマセンデシタ・・・
ちなみに、
私、どうやらショートスリーパーってヤツらしく、普段だろうがアウトドアだろうがやたら早起きなので、
まあ、まだ洗いもの前つか、5時とかそのへんだったんですけれど、たぶん、なんか、こう、素直に「うるさかった」んでしょうね(^^;
Higuさんとred-bicycleさんが、たぶん私がごそごそごそごそタープの中で活動を始めてしばらくすると起きていらっしゃり、
「もういっかい寝ます」だったか、「寝袋であったまってきます」だったか、とにかく両名様ともしばらくするとタープを後になさったようなこともありました。。。
ごめんね内輪でも不審者で(^^;;ホント、スミマセンデシタ・・・
そんなこんなで時間は過ぎて、
確かその時はHiguさんと川端のふたりがタープにいたと思います。
「うぃー、おはようございまーす・・・」
起きてくるなりマッコリをぐびぐびイワすのは、98kさんであります(^^;
そして、寝ざめの一杯あと開口一番。
「ぷはぁ。
いやあ、Higuさんのイビキがうるさくてうるさくて、眠れない眠れない(--)」
・・・アンタがゆうかっ?!( ̄Д ̄;)・・・
「ああ。そでしたか(@^_^)ゞ ポリポリ・・・」
「まったくもう(--)ちょっとは遠慮ってものを・・・」
「いやいやいやいやちょっとまったらんかいこの棚上げ人類!
どー考えても理不尽過ぎやろっ!!(^^;
そもそも五十歩百歩っちゅーか音量まったく変わりませんやんちゅーかなんならアンタが元祖やないかいっ!!
ちゅーかむしろ昨夜の場合おふたりの見事なコラボレーションで歴代ハイスコア叩き出してましたやんっ!!!」
ちなみに、、、
この会話というか、このときのアタシの声がデカ過ぎてwingさん目が覚めたのだとか。。。
そんな、いたって和やかな朝。
「じゃあわたしも(^^)」
なんつって、Higuさんもスパークリングワインだかシェリーだかそれ以外だかを、やっぱりぐびぐびイワすんですな(^^;;
・・・なんだろーなぁ?・・・
なんか、こう、似てるんですよね。このおふたり。
よく食べる、細かいことを気にしない、雰囲気が明るい、ひと当たりが良い、なんとなく強そう、なぜか色んなことに詳しい、カモ柄が好き、銃器に思うところがあるらしい、環境の変化に強い。。。
見た目はゼンゼン違う。
どうやら食べ物の好みも違う、あえて気になる事も違うっぽい、雰囲気だってそれぞれ、ひと当たりが良いといっても口数も会話の切り口も違う、強そうといってもその種類は違う、詳しいこともそれぞれ違う、カモ柄だって種類が違う、好きな銃器も違うらしい。まあ、環境の変化ってのはアウトドア系のひとならたいがい私より強いワケで、、、
けれど、、、
「眠れましたか?お貸ししたテントや寝袋はかなりの年月焼肉などの煙で燻され続けてきた年季モノだったのですが(^?^)」
「ああ、そうなんですか。だからよく眠れたんだなぁ。なんか懐かしいニオイがすると思いました(^^)」
・・・やっぱ同種、だよなぁ?(^^;・・・
なんて手前勝手な感想を抱きながら、
飲めないアタシャ、これも「定番」アーミーグリーンなるコーヒーをばm(_ _)m
で、
やがてred-bicycleさんも再びタープへ。
ああ、そうそう。
二枚目の写真の左中央くらいに写っておりますが、
red-bicycleさんによる養生。改造ランタンによるタープのペグ及びガイライン用「躓き避け」であります。
気づいた範囲になりますが、暗闇の中、さすがにこれで躓いた方はいなかった。
なにげないというか、ご本人にすらそれが気遣いや親切だという意識は無かったものと判断しますが、
それでも、全員で感謝であります(^^ゞ
さてさて、
意外と早起きだった。というと怒られてしまうのかも知れませんが(^^;
「今回はちょっと油断したかなぁ。明け方どうも寒かったなぁ(--)」
とおっしゃりつつ最終のご起床はwingさん。
皆が揃ったところで朝メシになるんですが、、、
「なんじゃこりゃあっ!」(松田優作風でm(_ _)m)
てなこって、
昨夜の鍋夕食スタートの時点98kさんによってどばどばっと景気良くぶっ込まれ、袋のまま朝まで煮込まれていたのは、
オデン種セットにセットされていたと思しきオデンつゆでんな(--)
「だいじょーぶなんですか?なんか環境ホルモンみたいなモン食っちゃった気がするんですが(^^;」
「いやあ、だいじょうぶでしょう。だいじょうぶじゃなくてもどうせ微量だしだいじょうぶ(^^)」
・・・うーん、、、そーゆーモンかいな?(--;・・・
まあ、
結局私もふつーに食ったんですケド、ね。。。
続きますm(_ _)m