「あなたは私を裏切るか?」 [その他]
特になにを主張したいワケでもなかったりするのですが、
以下、なんとなく、ちょっと思ったので、、、(^^;
「安い」
そう呼ばれることのある言葉があります。
私の中では、
「自分らしく」
とか、
「だいじょうぶ」
とか、
「心配いらない」
とか、
「ひとりじゃない」
とか、
「答えは自分の中にある」
とかとか、
状況にも、っちゅーか、精神状態にもよりますが、そういうのが「安い」に該当します。
「安い」ってーと、なんちゅーか、なんとなく悪い意味に捉えられがちのような気もしますが、私は好きです。本当に(^^)
ただ、「がんばれ」という言葉だけは、自分でもよく解かっていないながら、
それは人様に使う言葉なのか?
みたいなカンジがして、なんぞトラウマでも抱えて成長してしまったのか、どーしても素直に受けつけられない傾向にあったりするんですが(^^;
それでも、ありがたくも頂ける際、その多くの場合相手様に悪意が無いことはじゅーぶん承知させて頂いていたりするので、まあ、社会生活上無問題の偏屈、、、
だと思います。。。m(_ _)m
ちなみに、
歌謡曲の歌詞なんか、たぶん、ほぼこの「安い」言葉で出来上がっているといっていいでしょう。
前に少し書いたような気もしますが、アタシャ歌謡曲も大好きだ(^^)
例えば、
まあ、私自身はそんなドラマティックかつバイオレンスな場面に出くわすような人生を送っておりませんので、いまだかつて一度も口にした記憶がありませんし、誰かに言われたことさえありませんが、
「あなたは私を裏切るか?」
という問い掛けがあったとしませんか?
恐らく、この問い掛けは、とても虚しく、そして悲しいものなんじゃなかろーか?と私は思うんですね。
それは、
相手が本当に誠実なひとであればあるほど
「裏切るかも知れない。だから私を信じるな」
そう答えるしかないことを問い掛ける本人自身が誰よりも承知した上で、
それでも、どうしても吐き出さずにはいられない問い掛けなんだろうなと思うから。
そして、きっと気づいてもいるでしょう。
その問いを口にした瞬間、自分が既に、言い換えるならば「先に」相手を裏切ってしまっていることを。
いや、そもそも最初から目の前の「誰か」を信用などしていなかったと自ら宣言してしまったことを。
それでも、
たぶん、時にひとは
「私は絶対にあなたを裏切らない」
と「誰か」に告げられたいと願うことがあるのではないか?と私は思います。
絶対なんて在り得ない。人間なんて、ずっと同じ気持ちで、同じ関係で居続けることなど決して出来はしないとわかった上で、
誠実じゃなくていいから、なんなら嘘でも構わないから、
ひとことでいい
「信じていいよ」
という薄っぺらな言葉を私にくれないだろうか?
ありふれた「安い」言葉でこの関係の未来を不実に保障してはくれないだろうか?
たぶん、それが、
「あなたは私を裏切るか?」
という問い掛けであろうかと。
恐らく、その問いへとひとを突き動かすのは、不安。
不安に根ざした不審からくるのであろうこの問い掛けは、きっと虚しいし、悲しい。
でも、ですね。
「あなたは私を裏切るか?」
そう問い掛ける「誰か」は、
きっと、問い掛けられた「誰か」に裏切られたくないと願っているから、裏切られるのではないか?という不安を払拭したくて問い掛けるのではなかろうか?
ぶっちゃけ、どーでもいいヤツには使わないような気がします。
なんなら、既に裏切れられていたとしても、それでも尚、上手に騙してくれるのならそれで良かったりするのかも知れない。
そこにあるのは、
どんなカタチであったにせよ「好意」なんじゃないかと私は思うんですね。
だから、
そのひとがその時欲しいと願っているのが「安い」言葉であるのなら、その「安い」言葉で答えるべきなんじゃないのかな?とか思うんですよね。
私なら、きっとそうして欲しいだろうから。
そう。
「だいじょうぶ」
だと安請け合いして欲しい。
それが嘘だと、いつか嘘になるのかも知れないとわかっていても、
それでも、少なくともその瞬間「誰か」に自分が完全に拒絶されてはいないと知ることが出来る「安い」言葉がどうしても欲しい。
たぶんそれで、
私なら、ほんの少し救われる。
「自分らしく」
なんてな、曖昧かつ、実はどこにもある筈の無い観念も、
あると思えば救われる。いや、あると思えばそれが「自分らしさ」に、なる。
「だいじょうぶ」
という言葉も、
誰かに「だいじょうぶ」だと言われれば「そうかもな?」的な安堵を抱くことが出来る。
どうしたら「だいじょうぶ」なのか?みたいな対策は、たぶんそれからでもいい。
「心配いらない」
みたいな、「いや、むしろ心配しろよ。てか、テメーで具体的に解決しろよ(--)」的ツっ込みどころ満載の保障も、
「ひとりじゃない」
みたいな、嘘であり真実でもある、どーとでも解釈出来よう薄っぺらな慰めも、
「答えは自分の中にある」
みたいな、もう「それは禅ですか?」くらいの「あったりまえ」も、
それらが単なる「痛いの痛いの飛んでいけ」的保障でしかないのだとしても、
それでも、
その「安さ」が、私は好きです。
なんて言うんだろう?
例えばいつか嘘になってしまうのかも知れないような軽薄な約束であったとしても、
誠実さの欠片も見出せないような不実で「安い」言葉であったとしても、
そんなの、どうでもいい。
それでその「誰か」が仮初めにでも救われるというのなら、たぶん、それでいいんじゃなかろーか?
みたいなカンジですね(^^;ナントナク・・・
きっと、
誠実な冷たい言葉に込められたやさしさなんて振り回してみたところで、あまり意味が無い。
たぶん、それで納得できるのは、自分が誠実だと確認する自分だけ。
てゆーか、
わかんないでしょ?
絶対なんて無いのなら、
「絶対に裏切る」なんてことさえ、在り得ない。
いや、、、
まあ、「だからなんだよ?」ってーと、自分でもよくわからないんですが。。。
おしまいm(_ _)m
裏切るという言葉自体そう簡単に使う事が無さそう。
会社出世レースなんかでは使わない。夫婦でも使わない。浮気なんか裏切りと呼ぶには軽すぎる。
命がかかった場面では出てきそうだが、そんな状況になった事が無い。ドラ切りなら経験あるが。
by ばさら (2009-03-25 23:37)
>ばさらさん
「裏切る」ってーと、重苦しいですね。確かに(^^;
そーだな・・・
なんというか「約束を破る」でも良くて、
「また明日」って言っといて、でも「どうしようもない理由」で会えなくなることってありますよね?
どうしようがあろうがなかろうが、事実としてその約束は破られたことになる。
でも、だからって約束しないってのは別に「誠実」でもなんでもないでしょ?みたいなことです。
その程度m(_ _)m
by 川端 (2009-03-26 14:31)
畜生の話を持ち出して恐縮ですが、うちのネコ、それはもうワタクシ溺愛しておりまして、お気に入りの座布団に粗相をされても腹が立たない位。
こいつが、「愛情確認」をしてくるんですね。
早朝、まだ寝ているワタクシの顔に前足の肉球をぐっと押しつけて起こしてみたり、ワタクシが帰宅すると足もとにスリスリとくっついてきたり。
しばらく撫でてやったり、遊んでやったりすると安心するのか、またどこかに行ってしまいます。
ワタクシも愛情確認というか信頼感の確認というか、周囲の人間にそれとなくしているような気もしますね。別に疑っている訳でも、不安になっているわけでもないんですが。
おっしゃるように「安い」言葉、定型なだけにかえって安心感もあるのではないでしょうか。
受験生を抱えるパパなのですが、息子たちにも
「おまえなら出来る」とか
「大丈夫」とか
「もしダメでも俺が何とかしてやる」とか、
大安売りなのであります。
by TOMO (2009-03-26 16:39)
>>畜生
畜生って、ひとが人外を勝手にひとまとめにそう呼んでるだけで、
ヒトも畜生も、実は大して変わりゃしねー気がします(^^)ナントナク・・・
>>確認
いつか失う。
抗いようも無く初めからそう決まっている。
たぶん、それが元凶というか、正体なんだと私は思うんですけれど。。。
猫も思うのかしら?(^^;
>>定型
確かに。
だから私は好きだったりするんですけれど(^^)
でも、考えてみると、だからってそのひと自身の気持ちがが「安い」わけでは無いですね(^^)
by 川端 (2009-03-27 12:20)